先日、まちなかを巡る「鉄の」モニターツアー【JR米子駅前のモニュメント】 「山陰鐡道發祥之地 米子」をご紹介しましたが、境港にも「山陰鐡道發祥之地」を示す碑があります。

JR馬場崎町駅(愛称・キジムナー駅)から線路沿いに境港駅方面へ約200m・・・

線路沿いのほっそ――――い道。

なーんもあらへん(汗)

と、左手のフェンスが凹んだ場所になんかおる!!
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-「山陰鐡道發祥之地」・境駅跡 2013.12.01


道の先、突き当りに見えるのがJR境港駅(愛称・鬼太郎駅)。この碑から約700mです。

う―――――ん・・・

碑というよりは、単なる台座に見えてしまうのですが・・・(汗)
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-「山陰鐡道發祥之地」・境駅跡 2013.12.01


ちなみにこの碑、境港市の文化財に指定されています。
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-「山陰鐡道發祥之地」・境駅跡 2013.12.01


碑の横に立っている案内看板を見てみましょう。

境港市指定文化財

「山陰鐡道発祥之地」碑

平成十四年七月一日指定

 山陰地方に初めて鉄道が開通したのは、明治三十五年(一九〇二)十一月一日のことであった。「境駅(さかいえき)」から「米子駅」を経て「御来屋駅」まで、山陰地方に初めて汽車が走り、新しい鉄道交通の歴史が開かれた。
 この歴史を記念して、六十周年にあたる昭和三十七年(一九六二)十一月一日に建立されたのがこの碑である。
 この場所は、その当時「境駅」のあったところで、碑は建立した境港市から旧国鉄米子鉄道管理局(現在のJR)へ寄贈された。

(付記)
「境線」の名称は明治四十二年から起こっている。
「境駅」は、大正三年に海岸寄りの現在地へ移転し、大正八年には「境港駅」と改名して現在に至っている。

 

境港市教育委員会

 

以上、案内看板転載



開業当初は、境駅~米子~御来屋「山陰西線」と呼ばれていましたが、1908(明治四一)年、米子~安来が開業したことにより支線となり、翌1909(明治四二)年に「境線」の名称が付きました。

それにしてもこの周辺・・・!!

細い道のわりに自動車の通行がままありますので、危険極まりない!!

おまけに自転車も!!

同時に来られると避けようがないので、碑が立っている段差の上に待避!!

おっ!?

碑の上になんかおる!!
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-「山陰鐡道發祥之地」・境駅跡 2013.12.01


このカタチは、レールでしょうか!?

特にこのオブジェに関する説明などはなく、どのような由来の物なのかは謎ですね。

謎は謎のまま放置して立ち去る!!

その解明は、次の世代へ託すことにしましょう(笑)


気持ちを切り替えて、境港駅を目指して歩くことスグ!!

踏切発見!!
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-JR境線・蓮池踏切 2013.12.01


遮断機や警報機のない無人踏切です。横断する際には、細心の注意をしましょう。JR西日本に代わりましてのお願いです。

境港駅を目指し、ちょいと歩いて振り返ると・・・!!
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-JR境線・蓮池踏切 2013.12.01

お!!この踏切は、蓮池踏切という名称のようです。


ちなみに、先に見える高架橋の下がJR馬場崎町駅(愛称・キジムナー駅)です。

振り返って、再び境港駅を目指す!!やがて線路脇の道はクランクし、外江街道へと合流。

ややっ!!外江街道踏切の警報機が鳴り、遮断機が下りた!!

妖怪列車がやってクル―――――!!きっとクル―――――!!
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-JR境線・外江街道踏切 2013.12.01


でも、なかなか来ない!!(説明しよう。妖怪列車が馬場崎町へ到着するぐらいに警報機が鳴りはじめ遮断機が閉じるので、列車が来るまでに時間がかかるのだぁ――――!!)

漸くやって来たのは、鬼太郎ファミリー列車(こなきじじい)目玉おやじ列車。後期高齢者コンビです(笑)

外江街道踏切から見る境港駅に停車中の妖怪列車は絵になります・・・よね!?
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-JR境港駅・妖怪列車 2013.12.01


向かって右の線路脇の小径を歩いて行けば、JR境港駅(愛称・鬼太郎駅)に到着!!
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-JR境港駅・妖怪列車 2013.12.01


自家用車で水木しげるロードにお越しの方で、どうしても妖怪列車に乗ってみたい!!そんな貴兄におススメする列車の旅が「境港~馬場崎町」(所要時間約2分・運賃140円)です。