尾留大明神旧社地から見える田んぼの真ん中にぽつんと佇む小山、山というより墳丘のように見えます。
この小山は草枕山と呼ばれており、八塩折の酒に酔いつぶれた八岐大蛇が、この草枕山を枕に伏せっているところを矢を以て射止め、十拳剣(とつかのつるぎ)で八つの首を刎ねたとされます。
草枕山から東へおよそ200mのところに見える鎮守の森、いやもりというより林かなぁ?
この八口神社も八岐大蛇伝説に関わる土地です。
『出雲風土記』に、「矢口社」と記されている古社です。境内にある由来書きには次のように記されていました。
八口神社・草枕山
出雲風土記には、「矢口社」と記載されています。また延喜式には「八口社」と記載されています。
須佐之男命が八岐大蛇の八つの頭を斬られたにより八口大明神といわれた。
また、大蛇が八塩折の酒に酔い草枕山を枕に伏せっているところを、男命が矢をもって射られたので矢代郷、武内社矢口社という。
赤川は、安政年間まで草枕山の東南方を迂回して斐伊川に注いでいたが、度重なる水難のため山を真二つに切り開き流れを変え、現在に至っている。
主祭神 須佐之男命
以上、由来書きより全文転載
古刹にしては意外なほど巨大な古木がなかったするのは、度重なる川の氾濫で流されてしまっているということでしょうか。
由来書きにあった赤川は、現在切り開かれた草枕山の間を流れており、その先で斐伊川に合流しますが、川の水位の違いから、この地はたびたび洪水に見舞われ 、ついには山を切り開き治水事業が完結したということで、大蛇退治の後日談的な話にも感じますね。
治水事業で切り開かれる前は小山ではなく山といった趣きだったようです。そこに八つの頭がお行儀よくこの山を枕にして寝入っていた姿はちょっとオモシロいではあ~りませんか。
須佐之男命は八口神社の場所から「矢」を射て、「八」の頭を退治したということで、掛詞としてうまくまとまっていますね。
そして、現在の尾留大明神旧社地から200mほど、草枕山へ寄った畑地で尾から「天叢雲剣(草薙の剣)」を取り出したということですが、いろいろな謎や疑問点が浮上。
あ、その剣を振るうとルカナンが発動するかどうかではありません。念のため・・・
いやね、そのー、細かいことですが、八岐大蛇は、背中に松や栢の樹が生え、八つの山、八つの谷にまたがるほどの巨大な姿をしていたにもかかわらず、ずいぶんと小柄で小顔だったんだなと、八本杉でふと思った疑問が再燃しました。
まぁ、実際にその大きさであれば、まちがいなく世界最大の蛇ということになるんですが、伝説からするとかなり小ちゃいなぁ・・・と。