カミナリ」とは、天空でゴロゴロと鳴る「武甕槌(タケミカヅチ)」でもなければ、「菅公(かんこう)」など、いはゆる「鳴る神」ではありません。

 

 

米子松江など、山陰中部のファッション・グルメ・グッズ・アートなど情報満載のフリーマガジンです。

 

 

先日、最新号が出たのでいただいてきました。

 

 

サンインカルチャーフリーマガジン

 

カミナリ 021

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-カミナリVol.21 2013.03.20

 

 

表紙を見て・・・

 

 

おおっ!!

 

 

何故、四国フェリー!?

 

 

表紙の四国フェリーチョロQのモデルと思われる「第八十一玉高丸

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-第八十一玉高丸・四国フェリー 2008.08.13

 

 

赤いファンネルが特徴の四国フェリー玉高丸」は、高松港岡山県玉野市宇野港を結ぶ、いはゆる宇高航路うこうこうろ)に就航しているカーフェリーです。

 

 

細かい話ですが、このチョロQのモデルは第二しょうどしま丸ですね。

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-第二しょうどしま丸・四国フェリー 2008.08.13

 


緑色に塗りつぶされていますが、屋上デッキに出る五形型の階段室が設けられていますので・・・。上記の写真では判りにくいので、同型の第七しょうどしま丸でご確認ください。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-第七しょうどしま丸 2008.08.13

 

 

赤いダミーファンネルの前に見えるのが、件の白い出っ張り、どーでもいいことですが(笑)

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-カミナリVol.21・チョロQ 2013.03.20

 

 

後日、第二しょうどしま丸チョロQも発売されております(笑)
 

 

宇高航路は1910(明治四三)年、国鉄により就航した宇高連絡船がはじまりです。しかし衝突・沈没が相次ぎ、1955(昭和三〇)年に発生した「紫雲丸事故」で168人が命を落としたことを契機として、本州四国連絡橋構想が具現化してゆきました。そして1988(昭和六三)年4月10日の瀬戸大橋開通の前日、4月9日に宇高連絡船は廃止となりました。

 

ただし、瀬戸大橋の通行料金が高額であったため、四国フェリー宇高うたか国道フェリー本四フェリー津國汽船)の民間三社による24時間運航は、2000年代初期まで継続されました。

 


宇高国道フェリーは、五隻のフェリーで24時間等間隔運航をしていました。徐々に利用車両が減り、2008年と2009年に実施された高速道路料金の大幅な通行料金の引き下げ措置を受け、車両輸送が大幅に減少、今後の利用増や収支改善が見込めないため、2012年10月17日運航休止となりました。


こんぴら丸(960t/1988年建造)

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-こんぴら丸・宇高国道フェリー 2010.02.21

 

津國汽船は、三隻のフェリーで運航していましたが、利用減燃油費の高騰などにより、2004年3月1日自社船での宇高航路運行撤退し、四国フェリー所有のフェリーを賃借し共同運航を実施、しかし2009年4月1日を以て宇野航路から撤退。宇野と直島・風戸(せと)を結ぶ定期航路と宇野と犬島を結ぶ不定期航路で運航していましたが、2012年5月31日、岡山地裁に自己破産を申請し倒産しました。

 

第八日通丸(591t/1965年建造)

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「第八日通丸」2002.02.16

 

二社が撤退してしまった宇高航路に残る四国フェリーは、四隻のフェリーで運行をしていましたが、建造が1989年とで船齢が所有するフェリーの中で一番若い第八十一玉高丸を海外へ売却し、現在は三隻のフェリーで24時間運行を続けています。

 

 

第八十二玉高丸(1989年建造/855t)

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-第八十二玉高丸・四国フェリー 2008.08.13

 

 

2000年代初期ごろまでは、岡山の宇野や瀬戸内海に浮かぶ小豆島直島男木おぎ)、女木めぎ)などの離島、阪神を結ぶフェリーや高速船などの入出港はおよそ1日200便におよび、海上には常に船影が見えており、時間帯によっては出港待ちで入港船が渋滞するという、全国でも稀な光景を見ることができました。

 

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「女木島沖」2001.10.20 山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「高松港」2002.08.03

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「高松港」2002.11.16
山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「高松港」2001.11.10

 

宇野航路は、同時出港や同時入港がたびたび見られ、運賃が片道320円と安く、所要時間もおよそ60分だったため、特に用がなくても気軽に乗って60分のクルーズを楽しんでいたなぁ・・・。24時間運航だったので、深夜のクルーズもなかなか乙なものでした。

 

 

瀬戸大橋、明石海峡大橋・しまなみ海道の瀬戸内三橋時代を迎え、四国の玄関口という拠点性という唯一の強みを失い、地盤沈下の続く香川県高松市が乾坤一擲!!活性化の起爆剤として旧高松貨物駅跡地を大規模再開発で誕生したのが「サンポート高松

 

 

2001年5月、四代目JR高松駅新駅舎や完成以来一度として本来の役目を果たすことなく現在に至る高松港旅客ターミナルビル高松で初めての本格的シティホテル全日空ホテルクレメント高松(現・JRホテルクレメント高松)などが開業し、その夏には四国一という高さを誇る高松シンボルタワーの起工など、バブル期に計画され、いくぶん計画縮小されたとはいえ、瀬戸の新都が姿を見せはじめた時期に2年ほど高松市で仕事をしていたことがありました。


JR高松駅

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-JR高松駅 2009.04.11

 

ホームから駅前広場までフルフラットのオールバリアフリー仕様、ヨーロッパのグランドステーションを彷彿とさせる外観、手前の水場は海水池で、汐の干満と連動し満ち引きし、海水魚が泳いでいたりします。

高松港旅客ターミナルビル

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松港旅客ターミナルビル 2007.07.28


連絡船のブリッジ(船橋)をイメージした外観で、一階に小豆島・直島航路の発券所、上階に港湾関連の民間企業のオフィスを入居させる予定でしたが、のりばから遠く不便なため発券所はブースのみ設置されたものの、一度も使用されることなく閑散とした状況が続いています。三階に宇高連絡船記念展示場(現在休止中)が入居しています。また、サンポート地域への熱供給センターとしての機能も備えています。

JRホテルクレメント高松(旧称・全日空ホテルクレメント高松)

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-全日空ホテルクレメント高松 2010.05.16


当時、シティホテルと称されるものがなかった高松市民待望の、帆船の帆をイメージした外観が威容を誇る白亜のシティホテルでした。ANAホテルズと契約を交わし、JR四国ホテル開発が運営するフランチャイズホテルでしたが、その戦略に差異が発生したことから、フランチャイズ契約を解消し、名称も一部変更されています。


高松シンボルタワー建設予定地の変遷


JR高松駅北側に広がる広大な更地、建設が始まる前の様子。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「シンボルタワー建設用地」2001.07.30

 


これは2001年7月30日に撮影したものです。たしかこの日かこの前日に地鎮祭が挙行されていたように記憶しています。そして8月9日にアスファルトで舗装されている場所で起工式が行われ、本格的な工事がはじまりました。

高い塀に囲まれ地上からでは中の様子を窺い知ることはできませんが、上から見ると大量の土砂が掘り返され、基礎工事が続いているのがわかりました。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「シンボルタワー建設中」2001.12.18

 


数え切れないぐらいの杭が見られ、その上に人工地盤が形成されつつある、2001年12月18日の状況です。

 

基礎工事が終わり、上モノの建設がはじまると、日に日に巨大な躯体が組み上げられてゆきました。

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松の風景「シンボルタワー建設中」2002.10.22

 


2002年10月22日の状況ですが、画面中ほど左の円形の部分はこの円柱でしょうね。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松シンボルタワー 2013.05.13

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松シンボルタワー 2007.08.11

 

奥はタワー棟の建家のようですね。それにしてもタワー棟の厚みが・・・、薄っあせるまるでマッチ箱か3階建て狭小住宅のような趣きを感じます。がっ!!高さは四国一なのですひらめき電球

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-サンポート高松 2010.04.25

 

 

 

色や見た目の雰囲気だけは、名古屋駅前の「ミッドランドスクエア」っぽいですが、あまりにも薄すぎあせるなんだか書き割りのような安っぽさを感じなくもないですがっ!!高さは四国一なのですひらめき電球


起工式からおよそ3年8ヶ月後、2004年3月30日に四国一の高さを誇る高松シンボルタワーが竣工しました。低層ホール棟には、うどん県のはずなのに、なぜか全国のラーメン店を集めたフロアーがオープン、当初は飲食テナントなどが多く入居していましたが、とにかく人が来ない、金銭消費や時間消費がされないことから、テナントの撤退が相次ぎました。何もない更地にゼロから再開発したにもかかわらず、建造物のデザインや素材のバラバラ感などがなんとも言えぬイタさを感じずにはいられません。

 

その後、国の出先機関を集約した合同庁舎が2006年11月に完成しています。

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-サンポート高松 2007.07.28

 


2007年7月28日に撮影したものですが、手前の芝生広場などは当初の計画では、民間に売却される予定だったようですが、バブル期に立てられた計画通りに進まず、その広大な造成地はイベント広場などとして暫定活用されていますが、1千億円の空き地と揶揄する向きもあるようです。また、右手に見える国の合同庁舎の左手に二棟目の合同庁舎が建設される予定でしたが、国の出先機関廃止の流れの中で、建設が凍結され、県の言うまちづくりの唯一の拠り所である、中枢拠点性が大きく揺らぎ、なんとか完成して欲しいと国に泣きついたという話も漏れ聞こえました。そもそも国の合同庁舎がまちづくりの拠り所というのも随分とヘンな話のようにも思えますね。過去に民間の様々な提言を退け、官のための計画を推進してきた県としての面目は丸つぶれかと思いきや、すでになかったこととしてほっ被りを決め込んでいるようでもあります。

 

散々な書き方をしてしまいましたが、高松シンボルタワー・ホール棟屋上のデッキから生で見ることができる高松港瀬戸内海の風景は、文句なしの絶景です。

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松シンボルタワーより高松港 2009.04.11

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-高松シンボルタワーより瀬戸内海 2008.07.27


通常時は一般解放されていますが、天候やイベントなどの影響によりクローズの場合もありますのでご注意ください。せっかくの絶景ですが、かなり分かりにくく行きにくい構造になっていますので合わせてご注意ください。


そして、ハッビックリマークと気づけば、本日より「瀬戸内国際芸術祭2013」がはじまりますね。

 

先日、公式ガイドブックは購入しました音譜

 

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-瀬戸内国際芸術祭2013公式ガイドブック 2013.03.20

 

 

ま、夏休み前か、9月ぐらいには帰れればいいなひらめき電球