全国各地には、政治家、銀行家、山林王、大地主、テレビ局や新聞社、交通インフラ、基幹産業のオーナーなど、その名を知らない人がいないぐらいの地方財閥や名家というものがあります。複数林立する場合、御三家や五摂家と称されることもあるようです。

 

山陰地方であれば島根県奥出雲の田部家、鳥取県東部・智頭の米原家、そして鳥取県西部・米子の坂口家でしょう。他にも華麗なる閨閥を誇る名家もありますが、それはまたの機会にいたしましょう。
 

米子市の中心市街地尾高町には、米子の財閥・坂口家の広大な住宅とかつてのヘッドオフィスが威容を誇っています。

 

坂口合名ビル

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-坂口合名ビル 2012.04.11


艶やかな商館

 江戸時代から明治初期まで米子の繁華街であった尾高町で、沢屋と呼ばれた坂口家は、木綿問屋を営んでいた。明治14年に家督を継いだ初代平兵衛は、米子商工業の先駆的な事業家で、明治18年から製糸業を皮切りに次々と新事業に進出した。昭和6年に建築されたこの事務所ビルは現在も坂口合名会社の事務所として使用されている。

 入口の両脇、基壇状の白御影石の上に軒下まで伸びている2本の丸い付け柱に特色がある。オーダーの表現はやや稚拙だが、渦巻き模様を頂く柱頭飾りはイオニア式そのものであり、古典様式も良く消化されている。

 入口の扉は重々しいが、内部に入ると天井は高く、伸びやかである。天井は梁形をそのまま表し、漆喰で縁取りを施したり、梁の交差部や持ち送りにはアカンサスの葉飾りも見られる。2階に通じる階段の踊り場には、コート掛けを兼ねた木製の姿見が据え付けてあるが、鏡を開くと鉄扉があり、その中に配電盤が設けてあるなど隠れた工夫を見逃すことができない。

 

坂口合名ビル 概要

所在地 米子市尾高町66

建設年 昭和6年

構  造 RC2階建

設計者 吉田善次郎

 

※以上、『とっとり建築探訪 県民の建築百選』より

 

なお、文章は参考文献の発行当時のものをそのまま転載しているため、外観やデーターなど現在と異なる箇所があります。2000(平成一二)年10月6日に発生した平成12年(2000年)鳥取県西部地震の後、安全面への配慮からか、イオニア式の柱頭飾りが取り外されています。また、1階ならびに2階の窓枠などがアルミサッシに交換されています。手許の資料では1階及び2階の建具は鉄製のもので、1階にはモダンな飾り格子、2階の窓枠上部にはモザイクタイルによる装飾が見られます。


ただ、正面玄関の鉄扉とその上の窓装飾は、竣工当時の佇まいを残しているように見えます。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-坂口合名ビル 2012.04.11


また、ビル側面の窓枠やモザイクタイルも竣工当時のもののように見受けられます。

 

少し離れた加茂川橋側から眺めてみると屋上に・・・目!!

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-坂口合名ビルの風見鶏 2013.02.19.

 

艶やかな洋館に相応しい風見鶏を見ることができます。

 

坂口合名ビルは、1931(昭和六)年の竣工以来、80年にわたり坂口財閥のヘッドオフイスとして使用されてきました。現在も登記上の本店所在地ですが、 本社機能は2011(平成二三)年6月に博労町のオフィスへ移転されています。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-坂口家住宅 2013.02.19

 

ビルの並びに建つ坂口家住宅の門前には垣が備えられ通行できないようにされています。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-坂口家住宅 2013.02.19

 

この由来は、戦後間もない復興の槌音が響く1947(昭和二二)年11月、天皇陛下が米子行幸の折、お泊りにいただくに足る相応しい宿がなかったため、民間の邸宅であるこの坂口邸へご宿泊されたそうです。つまりは昭和天皇がこの門をお通りになられたということなんですね。 それ以来、家人であってもこの門を通るのは畏れ多いということで、開かずの門とされ一度も開かれたことがないと云います。

 

向かい側の坂口家住宅は、1892(明治二五)年に建てられたもので、木造2階建、東側入母屋、西側切妻、桟瓦葺、桁行9.6m、梁間16m、主屋には台所や玄関、下屋などが設けられ複雑な外観をしています。敷地内には主屋以外にも離れ(1926(大正一五)年建築:木造平屋:桟瓦葺)、渡り廊下、土蔵(1896(明治二九)年建築:土蔵2階:桟瓦葺)、 土間倉(1892(明治二五)年建築:木造平屋建地下1階:桟瓦葺)、門及び塀(大正時代建築:木造:桟瓦葺)があり、それぞれ「国土の歴史的景観に寄与しているも の」との理由から国登録有形文化財に指定されています。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-坂口家住宅 2013.02.19

 

虫籠窓のついた厨子二階、二階天井の低い中二階と呼ばれるこのスタイルは、江戸初期から中期にかけて普及し、明治末期の総二階と呼ばれるスタイルが登場するまで見られました。

 

そしてこの軒先に掲げられた不思議な「専用」の青い札

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-坂口家住宅 2013.02.19
 

う―――――む汗赤色であれば、赤い彗星シャア専用なのですが・・・あせる

 

青色・・・ひらめき電球マ・クベ大佐専用・・・ではありませんよね汗

 

それにしてもこの「専用」の札、半年ほど前に見つけ、いろいろな方に伺ってみましたが、未だ謎のままですはてなマークはてなマーク

 

◇参考文献

『とっとり建築探訪 県民の建物百選』 社団法人鳥取県建築士会 編著