毎度ご来店くださいましてまことにありがとうございます。



米子の開府はいまからおよそ四百年前、関ヶ原の合戦後の1601(慶長六)年領主として駿河より中村一忠が入府したのがはじまりです。ただし、古い記録によると1575(天正三年)年ですから、長篠の合戦のあったころには、よなごという町があったとの記録があります。


本格的な米子の町づくりは、中村家の家老である横田内膳によって執り行われ、旧加茂川の外堀化や、優れた商人や職人を呼び寄せての産業振興、そして区画整理し今日に残る城下町を形成しました。


しかし、1609(慶長一四)年に中村一忠が急死し御家は断絶、1632(寛永九)年には、鳥取藩主池田家の主席家老であった荒尾成利米子城を預かるという「殿様のいない城下町」となりました。


以降、米子の商人たちは様々な形で城の維持に関わり、外部との交流も比較的自由になされました。このころから、現在に至るまでの間に米子人独特の「自由闊達で開放的」な気風が育み続けられたのでしょう。そしてその気質はこれから先の未来にも受け継がれていくことでしょう。


江戸中期から明治・大正にかけては海運業が盛え、米子港を物流の拠点としました。大正から昭和にかけては鉄道が敷設され物流の拠点が米子駅周辺へと移りました。


米子の中心市街地、いはゆる下町界隈は、戦争による空襲を免れ、大規模な火災なども発生しなかったことが幸いし、往時の区画がほとんどそのまま残っており、江戸時代の豪商の屋敷なども数多く現存しています。


だからまち歩きがおもしろいのですひらめき電球



山陰合同銀行米子支店横、笑い通り商店街には、古い商家などをリノベーションしたオシャレなショップや昭和な雰囲気を色濃く残した商店などが混在しています。

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-1.笑い通り 2013.02.19

上に架かるアーケードは撤去されるということなので、この景色もやがて姿を消すことになります。写真を撮るならお早めに!!


右手前に見えるクラシカルなお店が銃砲・火薬 土井親男商店です。かつて三井信託銀行で社長を務めた土井正三郎氏の生家です。


その奥に見つけたさらにクラシカルな引き戸


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-まつや 2013.02.19


明治期に創業した老舗の旅籠をリノベーションしてオープンした、昭和・大正ロマン漂う鍋料理屋のまつやさんです。


アーケードを出てすぐ右に曲がると覺證院小路(かくしょういんしょうじ)


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-持田金物店 2013.02.19


小路沿いの、当時の佇まいをそのままに残す木製の建具が印象的な持田金物店を見上げてみると・・・!!

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-持田金物店 2013.02.19


お―――ひらめき電球

なんともクラシカルなバルコニー!?


ここで夜な夜なロメオとジュリエットが悲劇を演じていたのでしょう。


んなわきゃーない!!


旧加茂川沿に面した民家の壁には・・・ひらめき電球


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-旧加茂川沿いの町屋 2013.02.19


こえは忍者返しはてなマークはてなマーク


これに返され、加茂川に落水した忍者は放たれたワニに喰われてThe END!?


んなわきゃーない!!


こちらのお宅も竣工当時の木の建具をそのまま残されているようです。窓ガラスも半透明で凹凸、模様がある最近見かけることがないものですね。



笑い通り商店街から続く本通りへと戻り、西へと足を進めます。


天神橋の架かる通の先の岩倉町は、倉吉在岩倉城下町から移ってきた人たちの町です。江戸時代には、多くの艀(はしけ)を使って海山物・穀物・荒物などの出し入れが行われ、鉄商の谷口屋、醸造業の長門屋、質商の鹿島分家などが有力商人として店を構えていたほか、豆腐屋・うどん屋・菓子屋・鍛冶屋・桶屋・船大工・表具師・塗師・皮細工屋などの加工販売業者(製造直売)が多くにぎやかな町だったようです。明治以降も和洋家具の岩井屋、洋服の石原・青山・河井商店、料理屋の荒惣・河善、紙文房具の神庭・小西商店、山陰電気会社などが営業していたようです。


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-岩倉町 2013.02.19


通り沿いに立つ商家


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-小西家住宅 2013.02.19


通りの奥に立つ石州瓦が目を引く住宅と蔵


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-石州瓦の住宅と蔵 2013.02.19


現代的なアパートメントも、通りに面した部分は周辺の景観に配慮されています。


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-景観配慮 2013.02.19


この周辺をよくよく見てみると、賃貸のアパートメントらしきものが数軒ありますが、どれも景観に溶け込むような外観をしています。条例等で縛りがあるわけではないようですので、大家さんのまちに対する配慮、まちを想う心の表れかもしれませんね。


左手、赤いポストが目印の素朴な外観が目を惹いたしょうじき村役場


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-しょうじき村役場 2013.02.19


1801(享和元)年創業の老舗、長田茶店さんの分店です。


見上げてみると・・・!!


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-しょうじき村役場 2013.02.19

この建物も歴史を感じさせる佇まいをしていますね。


まちあるきは前だけでなく右左、足元や頭上、時には振り返って見ることも重要です。目線の高さを変えてやるだけで、いつもとちがった風景、気づかなかったものを発見する楽しみが何倍にも増えますひらめき電球


まっすぐ突き当たった先、目に飛び込んでくる巨大な一銭銅貨!!


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-岡本一銭屋 2013.02.19

米子・下町に暮らす、また暮らしていたかつての子供たちの社交場、思い出のいっぱい詰まった場所、一銭屋岡本商店です。


創業は1934(昭和九)年、あめ玉からおもちゃまで、子供の喜ぶものを何でも一銭で揃えたため、いつしかそれが屋号になったということです。巨大な一銭銅貨は直径が1メートル、木型を銅板で包んだもので、1950(昭和二五)年に開催された米子博覧会を記念して作られました。縁起を担いで「八十八」日間での製作をもとめたこだわりの看板です。また「八十八」を組み合わせると米子の「」という文字になりますねひらめき電球


一銭屋岡本商店前で本通りがなぜかクランクします。その秘密はまたの機会に・・・


その先、本通沿いの町家の二階の窓を見ると・・・ひらめき電球


山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-窓 2013.02.19


なんとも趣き深い・・・ビックリマークでも、顔が並んでいるようにも見えますね汗


・・・見えませんかあせる


少し歩いただけで色々な「窓」の写真をコレクションできましたひらめき電球


今度は、「窓」に絞ってまち歩きをしてコレクションを増やしてみようかなぁ・・・音譜


◇参考文献

『市民が選んだ よなごの宝 八十八』 よなごの宝88選実行委員会 編集

『米子のふるさと散歩』 米子市山陰歴史館運営委員会 編集 米子錦ライオンズクラブ 発行

「よなごのまち歩きマップ」 米子市観光協会 発行




本日はご来店くださいましてまことにありがとうございました。

またのお越しを心よりお待ち申し上げております。