先日、今年は雪が少なくて暖かいと申しましたら、一昨日夜から冷え込んでは雪雪でございます。

 

昨日朝、路面はガチガチのアイスバーン!!スケートリンク状態!!えらいことやがな~あせる

 

気温も平年より6~8℃下回ってたそうで・・・、困るやないか~汗

 

OFFだったので、家で一日ひきこもりのはずでしたが、あるモノが届かず(滝涙)

 

ということで、前々から雪が降ったら出かけようと思っていた場所に行ってまいりました。

 

タイトルでご存じの方にはバレバレですね汗

 

雪に覆われた奥出雲の土蔵群を見に行ってまいりました。

 

がっ!!

 

好事魔多し!?

 

いやぁ・・・、寝坊いたしまして(←自滅)、予定より1時間ほど遅く出発いたしました。

 

案の定、通勤時間帯に重なり、地べたのアイスバーン攻撃も相まって、米子ではありえないほどの渋滞あせる

 

まぁ、渋滞といっても首都高の江戸橋JCTと比較するとどーってことはないんですがね・・・

 

ガソリン入れて、そこから米子西ICまでの約13kmを進むのに48分、通常の倍ぐらいかなはてなマーク

 

境港の自宅から大根島経由~松江だんだん道路経由で山陰道に乗ればはるかに速いのに、いつもの所でガソリンを入れるため遠回りするという段取りの悪さ(←自業自得汗)というか、頭悪すぎだ~叫び

 

山陰道はたいした渋滞もなくというよりも、自動車走ってないし・・・

 

安来を過ぎた辺りから猛吹雪&路面に積もった乾雪が吹き上がる地吹雪状態雪の結晶

 

前が見えん!!

 

でも前も後もおらんし、ちんたらぽんたら走っていると・・・、宍道JCT手前からカラリと晴れ、日差しが射すような状態に天候が一時回復晴れ

 

松江自動車道の現時点での終点吉田掛合(よしだかけや)ICで流出し、ものの数キロ・数分で最初の目的地に到着音譜米子や松江の市街地よりも雪深い奥出雲の方が頻繁に除雪車が稼働していて、幹線道路は完璧なまでに除雪が為されています。

 

三度の訪問となりました雲南市吉田町、川沿いの観光センター稲わら館に車を止め、田部家土蔵群へGO!!

 

それにしても、くるぶしの上まで雪が積もっております。止んでいた雪がまた降ってきたし・・・

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08


「鉄山師 田部家」は、応仁の乱のころですから室町時代、紀伊田辺よりこの奥出雲に移り住んだとされ、蹈鞴(タタラ)製鉄集団の頭領として、また蹈鞴製鉄の衰退以降は日本一の山林王として広く知られています。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08


田部家土蔵群

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08


その数、実に十八棟、鉄山師の頭領として、また日本一の山林王としての繁栄ぶりの一端をうかがうことができます。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08

 

それぞれの蔵には建てられた年号の名前が付けられており、左手前に見える蔵が一番古く、1704年ごろ建てられたので「宝永蔵」と呼ばれているとのことです。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08


ほかにも「宝昌蔵」、「正平蔵」、「文政蔵」と呼ばれる歴史を感じさせる蔵が並びます。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08

 

蔵の間、奥に続く土道を突き当たった先が「田部家」の邸宅

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08
山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08

 

黄金期には、島根県飯石郡の大部分が「田部家」の領地であったことから、名実ともに日本一の山林大地主といえるでしょう。

 

「田部家」の当主は代々「長右衛門」を襲名し、二十三代 長右衛門は衆議院議員1期(第21回衆議院総選挙・1942年)や島根県知事を3期務めました。さらに第74代内閣総理大臣 竹下登の後見人であったことや、参院のドンといわれた青木幹雄 元官房長官がかつて二十三代の下で秘書をしていたことなどが知られており、他にも多くの政治家を支えてきました。また茶室「明々庵」再建や「田部美術館」を設立し文化振興にも尽力しました。

 

そしてその閨閥は華麗さを極め、智頭の山林地主・米原家、米子の財閥・坂口家、安来の名家・秦家や境の庄屋・庄司家など、山陰においての名門といわれる家系ばかり、まさに「山陰の華麗なる一族」といっても過言ではありませんね。

 

銀世界に白壁土蔵群、音のない世界・・・、時が止まったかのような、あるいは江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08

 

蔵の迷宮はてなマーク

 

あまりの蔵の多さにクラクラします・・・ヽ(;´Д`)ノ
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08

 

見上げると氷柱がびっしり

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08

 

ちょっとしたトラップのようなオソロシさを感じなくもない・・・かな。

 

雪があがり、晴れ間が見えたかと思えばまた吹雪というように短時間で天候が変化します。撮影には往生しますが、その分いろいろな表情が楽しめて得した気分になりました。

 

田部家土蔵群前の本町通りを抜けて、県道38号線を越え、吉田川の先、山の上に見える東屋が吉田公園で、ここに登れば鉄山師の町が一望できます。本来は石州瓦の赤い波が美しいのですが、雪に覆われ真っ白ですね。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08


「鉄山師・田部家」を中心とした吉田町は、本町通りを中心にして江戸時代初期に成立し、「田部家土蔵群」の他、「田部家」や製鉄業にゆかりの家々が建ち並んでいます。

 

雪が激しくなってきたので、足元に気をつけながら下り、来た時とは逆に、本町通りの坂を上ってゆきます。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-田部家土蔵群 2013.02.08


本町通りにある、かつての医者の住宅を利用して整備された「鉄の歴史博物館」

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-鉄の歴史博物館 2013.02.08

 

ここは蹈鞴製鉄の技術や歴史を展示紹介する施設です。

 

蹈鞴製鉄とその技法、操業工程のパネルと道具などの展示があります。

 

古代より出雲地区周辺は蹈鞴製鉄が盛んに行われていた地域でした。

 

蹈鞴と呼ばれる製鉄に使用される原料は鉄鉱石ではなく砂鉄で、その砂鉄と燃料となる良質の木炭、つまり大量の樹木、それらが比較的容易に手に入る地域であったことから中心地になったと考えられます。

 

蹈鞴製鉄が衰退した後には、田部家が所有している地所を生かした山林事業、西日本最大の合板メーカーを展開、また山陰中央テレビや山陰中央新報、ケンタッキー・フライド・チキンの中国地区でのフランチャイズなど、多角的な経営をしており、KFCについては、40年前にフランチャイズ契約を結び、1号店は米子市角盤町に出店(閉店済)しています。

 

「鉄の歴史博物館」の玄関口の向かって右手には、大きなケラ※(炉から取り出した鉄のかたまり)が置いてありますが雪を被って真っ白ですね。※金偏に母
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-鉄の歴史博物館 2013.02.08

鉄塊

 吉田村の鉄づくりの歴史は古く、鎌倉時代にはじまったとされている。

 砂鉄と木炭が豊富にある山野に炉をつくり自然の風を利用して行われていた。

 温度が上がった炉に振り入れられた砂鉄は炉内で溶けて鋼や銑鉄のかたまり―ケラ※となる。※金偏に母

吉田村鉄穴ヶ谷鈩原出土

 

以上、説明板より転載。

 

気づけば1時間以上経っており、次の目的地へと出発することにしました。

 

その前に稲わら館でお土産・・・、といってもおまじゅうやおせんべいではなく、ワタクシの趣味は妖怪的な民芸品なのです。ちょうどよいモノがありました音譜

 

稲わらで編まれた巳ぃさんヘビくん

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-稲わら館・巳さん・1,000- 2013.02.08

 

今年の干支でもありますし、当地周辺は、『古事記』に登場する「八俣大蛇神話」の地でもあるので、おみやげに相応しい品でしょう音譜

 

このあと、山中の製鐵所を訪ねたり、秘湯に浸かったり、八俣大蛇伝承地を巡ったりしましたので、あと数回に渡りUPしてまいります。