梅毒に悩んだ著名人-16.デジデリウス・エラスムス- | 血液の鉄人の医学と切手のサイト

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デジデリウス・エラスムス(1466~1536)は、ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者で"ロッテルダムのエラスムス"とも呼ばれています。

彼が1511年に出版した『痴愚神礼讃』(ちぐしんらいさん)は、特に有名で人間社会の馬鹿馬鹿しさや繰り広げられる愚行を饒舌に風刺した作品です。

※【痴愚神礼讃 Moriae encomium】は【愚神礼讃】とも訳されています※

痴愚の女神モリアー(モリアエ)が聴衆を前に大演説会を開き軽妙洒脱な語り口で王侯貴族や聖職者・神学者・文法学者・哲学者ら権威者を徹底的にこき下ろします。

宗教改革の時代を生きたエラスムスは「カトリック教会を批判した人文主義者」と表現されますが、実際はローマ教皇庁を含めカトリック教会内に知己が多く、生涯を通してカトリック教会に対して忠実であり、カトリック教会の諸問題を批判しながらも中道を標榜してプロテスタント側に身を投じることはありませんでした。

また彼は人文主義的立場から宗教改革の精神に同調しますが、マルティン・ルター(1483~1546)の教皇・教会批判には反対しています。

1600年(慶長5年)3月16日に豊後国(大分県)の浜辺に漂着したオランダ船リーフデ号(前名エラスムス号)の船尾飾りのデジデリウス・エラスムスの像が日本にあり重要文化財に指定されています。

宗教家の彼も梅毒トレポネーマに感染し、その症状に悩んだと伝えられています。

このことからも当時は下は庶民から国王に至るまで、あらゆる階層で梅毒が大流行していたことが伺われます。

 

切手は1969年オランダ発行の「エラスムス生誕500年記念切手」で、彼の肖像が描かれています。

 

 



 

切手は1967年ベルギー発行の「エラスムス絵画切手」で、クエンティン・マサイス(1465/66~1530)が1535~1835年にかけて描いたエラスムスの肖像画です。

 

 



 

切手は1988年オランダ発行の「エラスムス大学ロッテルダム創立75周年記念切手」で、書籍を読むエラスムスの像の顔の部分が描かれています。