スタンプアラカルト-2.歴代天皇切手.その2大正天皇- | 血液の鉄人の医学と切手のサイト

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大正天皇(1879~1926)は、日本の第123代天皇(在位: 1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日 ~1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日)です。

諱は嘉仁(よしひと)、御称号は明宮(はるのみや)。 

大正天皇の生涯は、病気との闘いの連続で、誕生後間もなく髄膜炎にかかり、その後も百日咳、腸チフス、胸膜炎などに罹患し健康が優れなかったことは事実です。

大正天皇は生来の病弱と遠眼鏡事件などによって暗愚または知的障害があったのではないかと言う風説が流布されましたが、生来病弱であったことは間違いないようですが、1367にも及ぶ漢詩と456首の和歌を残すなど、暗愚と言う言葉はあまりにも失礼に値すると思います。

遠眼鏡事件とは、大正天皇が初めて帝国議会開会式に臨んだ1912年詔書を読んだあと、その詔書を丸めて遠眼鏡のようにして議員席を見渡したとされる事件の事ですが、これを伝えた幾つかの記事の日付や内容が異なっており、その信憑性は薄く、丸めたままで詔書の上下を確認した、確実に丸めてあるかどうかを確認したという伝聞もあり、この話をもって大正天皇が暗愚というには決定力に欠けると言わざるを得ません。

私が子供の大正天皇は帝国議会開会式で詔書を読み終えそれを丸めて覗き『見える、見える』と言ったと伝え聞いたのを今も覚えています。

大正天皇は精力的に地方巡啓を行い、思ったことをすぐに口にし行動する性格だったため、巡啓先の関係者らを慌てさせることもままあったようですが、明治天皇とは異なる気さくな人柄として国民の人気は高かった。

1923年(大正12年9月1日11時58分)に帝都を襲った関東大震災の直後、大正天皇陛下は、1923(大正12)年11月10日に『国民精神作興詔書(こくみんせいしんさっこうしょうしょ)』という詔書を発布されています。

これは、災禍による帝都の破壊や増大する社会不安を契機に、国民に対して、災害後の国力回復や道徳振興を呼びかけたもので、この詔の一節に「醇厚中正(じゅんこうちゅうせい)」という二つの言葉を一つにした四字熟語を何度も使用されています。


当時、復興のスローガンの一つとして多くの人がこの言葉を大切にしたそうです。

※醇厚中正とは、人情を熱く他者に接し、ひとつの思想に偏りとらわれず公正であること※

絵葉書は1925年日本発行の「大正天皇銀婚式記念絵葉書」で、大正天皇と貞明皇后が描かれています。

 



 

 

切手は2014年グレナダ発行の「第一次世界大戦時の世界の指導者切手」の中の一枚で、大正天皇が描かれています。