平清盛(1118~1181)は、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築くとともに日本初の武家政権を打ち立てた人物です。
平氏一門は隆盛を極め、全国数多の荘園を保有し、日宋貿易によって莫大な財貨を手にし繁栄を極めることになります。
『平家物語』の中で平清盛の義弟の平時忠(1130?~1189)が「この一門にあらざる者は皆人非人なり」と言ったとの記述があり、これは「平家にあらずんば人にあらず」という慣用句で知られています。
※このあまりにも有名な名言は、平家が最も隆盛を極めた時代の頭首・平清盛であると誤解している方は意外と多いのではないでしょうか?※
平清盛の死はについては、多くの記述があり最期は高熱により苦しみ死に至ったとの状態が記されています。
当時の『平家物語』延慶本・第三本(巻六)十三「太政入道他界のこと」には、頭痛から始まった高熱発作で意識不明となりと記されています、
身体の熱さは火をたいたようで、比叡山で最も冷たい水があるとされる千住院の井戸からから運ばせた水をかけるとたちまち熱湯になったと記されています。
藤原定家の日記『明月記』では、その死に際して「動熱悶絶の由」という噂があったとされており、マラリアのような高熱を生じる感染症であった可能性は高いと思われます。
これらのことから平清盛は熱病(マラリア)で死亡したとされる由縁です。
しかしその他の原因としては、日本脳炎・レンサ球菌感染症・髄膜炎などとされる説もあります。
平清盛は信仰心があつく、彼の枕元に立った僧侶が「厳島神社を造営すれば、必ず位階を極めるだろう」というお告げにしたがって、厳島神社の造営を行いました。
広島県広島湾に浮かぶ宮島の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する厳島神社は平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられます。
平安時代に平家一門がその繁栄を願って厳島神社に奉納した『平家納経』は、平清盛の願文に「善を尽くし、美を尽くし」とあるように経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の栄華を今に伝えています。
切手は2012年発行の「平清盛ゆかりの寺のフレーム切手」で、シート面に平清盛の木像が描かれています。
切手は1988年日本発行の「第3次国宝シリーズ 第4集」で、厳島神社が描かれています。

