本能寺の変とは、1582年6月21日(天正10年6月2日)早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長(1534~1582)を家臣明智光秀(1516~1582)が突如謀反を起こして襲撃した事件です。
織田信長は寝込みを襲われ、交戦は不可能と悟り本能寺に火を放ち自決したとされていますが、信長の遺体は見つかっていません。
織田信長を討った光秀がその動機を明らかにした史料はなく、また光秀の重臣も短期間でほとんど討たれてしまったためその動機が明らかにされることはありませんでした。
この本能寺の変は数多くの研究家たちが諸説を述べていますが、未だに真相はわかっていません。
現在まで諸説を取り混ぜて多くのドラマや映画化されていますが、いずれも推測の域を出ていません。
切手は1997年マカオ発行の「ルイス・フロイス神父没後400年記念切手」の中の一枚で、織田信長(右端)が描かれています。

※ルイス・フロイス(1532~1597)は、ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見し、戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を著した人物です※
切手は2020年日本発行の「明智光秀 ふくいゆかりの地フレーム切手」で、上部に明智光秀、切手には明智光秀のゆかりの地が描かれています。


