心臓移植とは、何らかの事情で脳死になった人の心臓の提供を受け、自分の心臓の代わりに植込むことで心不全を改善する治療です。
世界初の心臓移植は、1967年12月3日南アフリカのケープタウン市にある グルート・スキュール病院で外科医のクリッシャン・バーナード博士(1922~2001)によって実施されました。
交通事故によって脳死状態となった24歳の女性の心臓を55歳の男性ルイス・ワシュカンスキー(1913~1967)に移植しましたが、術後元気だった患者は、拒絶反応を防ぐための薬物療法の行き過ぎで肺炎を起こし、18日後の12月21日に死亡しました。
日本における最初の心臓移植は、1968年8月8日札幌医科大学の和田寿郎を主宰とする胸部外科チームによって日本初、世界で30例目となる心臓移植手術が行われています。
ドナー(臓器提供者)は21歳の溺水事故を起こした男子大学生で、レシピエント(移植患者)は心臓弁膜症の18歳の男子高校生で多弁障害を抱え人工弁置換術では根治できないとされる患者であったそうです。
移植者は手術後83日目の10月29日に食後に痰を詰まらせ長時間にわたる蘇生術の甲斐もなく急性呼吸不全で死亡しています。
この"和田移植"は、多くの批判を浴び、その後、1997年に脳死臓器移植法が成立するまで、日本での脳死臓器移植は30年間行われていませんでした。
当時、札幌医科大学整形外科講師として勤務していた作家の渡辺淳一(1933~2014)は、この心臓移植を題材にした『小説心臓移植(のちに「白い宴」と改題)』を1969年3月発表し話題になりました。
実質渡辺淳一はこの小説を発表した結果、札幌医科大学を退職することになります。
切手は1968年イエメン・アラブ共和国発行の「心臓移植1周年記念切手」の中の1枚で、バーナード博士、心臓そして移植手術手術の光景が描かれています。
切手は1968年イエメン・アラブ共和国発行の「心臓移植1周年記念切手」の中の1枚で、移植後の患者ルイス・ワシュカンスキーを診察するバーナード博士が描かれています。
切手は2000年ブラジル発行の「臓器提供と移植連刷切手」で、外科医がドナーの心臓穂持ちその横には移植患者が描かれ正常な心電図の波形(左)、臓器提供を表す広げた両手(右)が描かれています。
切手は2002年メキシコ発行の「全国臓器移植と臓器提供切手」で、移植の時間的制約を表す時計、人体の上半身(おそらく心臓移植を表現)、心電図の波形が描かれています。
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