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今週は、お盆休み明けということで、過去記事のご紹介をして参りました(笑)。来週からは、また、『憲法学概説』『皇室典範講義』『ルソー社会契約論を読む』の連載に戻りたいと思います。

さて、本日は、大日本帝國憲法の理解に於いて比較的基本的な事柄でありながら、まだまだ知られていない、「大日本帝國憲法は天皇主権を否定している」ということについて、簡単にお話しします。既にご存知の方も、ぜひお読み下さい。

「主権」とは、国のあり方を最終的に決定することのできる力であり、最高にして絶対的な、何ものの拘束をも受けない無制限の力です。この「主権」の概念を学問的に理論化したのが、フランスのジャン・ボダン(1530~96)でした。

当時、フランス王国は王位を継承してきたヴァロワ家が断絶し、傍系のブルボン家のアンリ4世が即位するなど、時代の大きな転換期にありました。この後、ブルボン家はアンリ4世の子のルイ13世、孫のルイ14世の時代にかけて、絶対王制を確立し、王権を強大なものとしていきます。

その上で役立ったのが、ボダンの主権論でした。王に主権がある(君主主権)とすることで、大きな力を持つ貴族などを抑え、王の力を強大ならしめていくのを理論的に正当化し、支えたのです。

しかし、大日本帝國憲法に於いては主権論は完全に否定されています。

この点、学校の教科書などでは「帝國憲法においては天皇主権が定められていた」などという解説がされていたりしますので、不思議に思われる方も多いでしょう。

大日本帝國憲法が天皇主権を否定しているという根拠は、次の三つです。


① 大日本帝國憲法は御告文に於いて、「皇祖皇宗の遺訓」に立脚したものである旨を述べていること。

「皇祖皇宗の遺訓」とは、我々が父祖より相続してきた、天皇を中心とする道徳や慣習、伝統などのことです。この「皇祖皇宗の遺訓」を成文化したものが大日本帝國憲法の中心的部分である、ということなのです。

このように、我々が父祖より相続した、天皇を中心とする道徳や慣習、伝統などに、行政・立法・司法などが拘束されることを憲法学では「法の支配」(Rule of Law)といいます。法の支配とは、英国に於いて発展した憲法原理であり、英米法の基本的精神です。

さて、主権とは、何ものの拘束をも受けない、最高にして絶対の力です。しかしながら、大日本帝國憲法が立脚している「法の支配」とは、統治権の全てが「我々が父祖より相続した、天皇を中心とする道徳や慣習、伝統など」に拘束されることをいいます。つまり、何ものの拘束をも受けない、最高にして絶対の力などというものを完全に否定し去るのが、「法の支配」なのです。


② 第4条に於いて、「天皇は憲法に従う」旨定められていること。

大日本帝國憲法第4条は、以下のような規定です。

「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」

つまり、天皇は統治権を行使されるが、それはあくまでも大日本帝國憲法の条文に則って行われねばならない、ということなのです。大変畏れ多い言い方で恐懼しつつ申し上げるならば、天皇といえども憲法の規定を遵守されねばならない、とはっきり定めているのが、この第4条なのです。

すなわち、この規定は、大日本帝國憲法が立脚する「法の支配」の精神を、条文に於いて明徴にしたものである、といえます。天皇といえども無制限にして最高かつ絶対の力をお持ちになるのではなく、皇祖皇宗の遺訓を遵守されねばならない、というのが第4条なのです。そして、これは、大日本帝國憲法の成立に関わらず、遥か昔から、歴代天皇陛下が遵守されてきたことです。


③第55条2項に於いて「法律等の発効には國務大臣の副署を必要とする」と定めていること。

第55条2項は、以下のような規定です。

「凡テ法律勅令其ノ他國務ニ関スル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス」

つまり、法律や勅令などが発効するには、それが天皇の御名御璽を頂くのみでは足らず、あくまでもその担当の國務大臣の副署が必要であり、それがなければ効力を有しない、というのです。

大日本帝國憲法が、天皇について主権を有すると認めているのならば、天皇の御名御璽のみであらゆる法律勅令等の発効を認めたでしょう。主権とは、無制限にして最高かつ絶対の力だからです。

しかし、このように第55条2項は、天皇の御名御璽のみでは法律や勅令等は発効しないと定めています。これこそ、大日本帝國憲法が天皇主権を排除している根拠なのです。