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皇室典範は、皇室の家法です。元来、二千年以上にわたって我が國に於いては、皇位継承についての「法(祖宗の遺意)」は不文でした。そして明治維新に於いて、諸般の事情から、これを成文化して皇室典範としたのです。

皇室典範は、明治19年(1886年)から明治21年(1888年)までの二年間にわたり、井上毅を中心に、伊藤博文柳原前光の三名によって起草されました。この草案は、明治21年から翌22年(1889年)にかけて、枢密院で審議され、可決成立したのです。

枢密院での審議には、明治天皇、議長として伊藤博文、副議長が寺島宗則、皇族方が伏見宮貞愛親王、有栖川宮熾仁親王、有栖川宮威仁親王、小松宮彰仁親王、北白川宮能久親王が出席されました。大臣の参加は十名、枢密顧問官は十五名。総勢三十三名が審議に参加されたことになります。

皇室典範は、皇室の家法であるがゆえに臣民の干渉を許しません。皇室は國體の中心であり、その神聖性と尊貴性に於いて、臣民がその家法に干渉することは、許すべからざる不敬であります。

従って、皇室典範を止む無く改正せざるを得ない場合が出来するならば、その改正は、皇室典範の定めるところにより、皇族方ご自身の手に委ねられることとするのが、皇室典範が皇室の家法たる法的性質に最も叶うものです。


皇室典範第62条 将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ


このように、皇室典範を改正するには、皇族方の合議体である皇族会議と、枢密院に於ける審議さえ行えば足りるもの、とされています。帝國議会の審議は必要ない、というよりも、むしろ帝國議会に於いては審議してはならない、ということなのです。

帝國議会に於いて皇室典範の改正を審議することは、畏れ多くも皇室の家法たる皇室典範に対して、臣下が容喙することとなるわけですから、許すべからざる不敬という以外にありません。


皇室典範第55条 皇族会議ハ成年以上ノ皇族男子ヲ以テ組織シ内大臣枢密院議長宮内大臣司法大臣大審院長ヲ以テ参列セシム


皇族会議は、成年の男性皇族方が中心となって組織されています。まさに、皇室に関する事柄について審議するに相応しい機関といえます。


同第56条 天皇ハ皇族会議ニ親臨シ又ハ皇族中ノ一員ニ命シテ議長タラシム


畏れ多くも天皇は、皇室の家長としてのお立場から皇族会議にご出席され、これを監督されます。


枢密院官制第1条 枢密院ハ天皇親臨シテ重要ノ國務を諮詢スル所トス


枢密院とは、國家の重要な政策の決定について審議する機関です。従って、枢密院にも、畏れ多くも統治権を行使される天皇が自らご出席されます。因みに、「枢密院」とは、英国のPrivy Council を翻訳した名称です。

このように、皇族会議と枢密院、皇室典範の改正を議論する機関の双方に、天皇は親臨なさいます。皇室典範が皇室の家法たる以上、当然のことといえます。

さて、このように見てくると、現在“皇室典範”を称している占領典範が、言語道断不遜にも皇室から皇室典範の改正権を剥奪し申し上げていることこそ、許すべからざる不敬不忠の悪逆であること明白です。

占領典範は皇室典範とは、到底呼べるものではありません。占領典範の不法性、不当性については、いずれまた取り上げます。