これ。。 S-KOREAというサイトに今朝アップされたよ・・
随分前のサンウのインタビューの言葉を集めて編集してあるから
少し???なところもあるけど
サンウの言葉はずっと変わらないから・・ 今聞いても同じこと発してることあるよね・・
読んでて・・興味深かったから・・ お借りしてきたよ
俳優クォン・サンウをもっと深く知るための“7つの言葉”
俳優クォン・サンウの言葉はウィットに富んでいる。まだ言葉を反すこともままならない子供に似た、純情さと可愛らしさがある。
その証拠に、彼の完成試写会やインタビューはいつも話題だ。もしかしたら、そこに人気の秘訣があるのかもしれない。
彼の魅力を、過去に発してきた言葉から分析してみよう。
クォン・サンウ語録①
「一度降りてから、また乗ったらだめですか」(SBS『夜心満々』より)
一昔前、韓国ではこれと似たセリフが出てくるテレビCMが流れて話題を呼んだことがある。
「僕、次の駅で降りるのですが…」
地下鉄で偶然出会った女性に心を奪われた青年が、恥ずかしそうに言うのだ。抜群のルックスを誇る青年が照れる姿は、多くの女性の心に響いたが、実はクォン・サンウも、かつてはテレビCMと同じようなシチュエーションを経験したという。
話はデビュー前に遡る。
クォン・サンウが親戚の家に泊まりに行ったときのこと。彼は地下鉄で出会った女性に心を奪われた。降りる駅が近づくにつれ、心が焦りだした彼は勇気を出して、彼女に声を掛けた。
「一度降りてから、また乗ったらだめですか」
地下鉄のドアは開き、彼女は無言のまま。
クォン・サンウは微動だにしない彼女の手を引き、一緒に地下鉄を降りた。
「今夜9時に電話してください」
彼女に電話番号を教えて欲しいと言ったら断られそうだったので、自分の電話番号を書いて手渡したというクォン・サンウ。まだ若かった彼は、夜もすがら電話の横で待ち続けたという。
そして、午後11時過ぎ。電話のベルが鳴った。待ちわびていた彼女からの電話だった。劇的な出会いを果たした2人はその後、1年ほど付き合ったらしい。クォン・サンウの勇気ある一面を垣間見ることができるエピソードだろう。
クォン・サンウ語録②
「エキストラで15万ウォンもらい、そのお金で1カ月やりくりしていました」(『東亜日報』より)
(写真提供=SPORTS KOREA)
「軍隊を除隊したあと、芸能界にデビューするまでがとても大変でした。3年間ソウルにいて、苦労が多かったですね。無計画で上京したのですが、上京したての頃は地下鉄の狎鴎亭駅が、江南地区全体だとばかり思っていました」
「狎鴎亭駅で降りて、大峙洞、清潭洞、論峴洞を歩き回って、自分のプロフィール写真を撮りましたが、江南地区があれほどまで広いとは思わなかった。あの頃は生活も苦しかったですね。広告の後ろに立つその他大勢のエキストラがありますよね。そこに顔を出しては15万ウォン(約1万5000円)をもらい、そのお金で1カ月分の生活をやりくりしていました」
韓国には、“蛙はおたまじゃくしの頃を知らない”ということわざがある。
昔の困難を忘れ、華麗な現在だけを考える人を、遠まわしに非難することわざで、急にスターになって浮かれる芸能人たちに、特によく用いられる言葉だが、クォン・サンウはその逆だ。
彼はおたまじゃくしの頃をとてもよく覚えている。
マネージャーも付けずに、ひとりであちこち飛び回って自分を売り込んだ日々。新聞配達やコンビニのアルバイトで日銭を稼ぐ貧乏生活を送りながら、モデル養成学校で学び、1998年にファッションモデルとして芸能界入りしたが、デビュー当時はセリフもない端役に過ぎなかったという。
実際、初出演したドラマ『おいしいプロポーズ』では、セリフ一言だけ残して去っていく、中華料理屋の配達人役。同年に放映されたミニシリーズ『神話』では、「カツラをかぶり、ナタを持って登場する脇役」(本人談)だった。
「僕は最初からスターでもなければ、主役でもなかったんです」
だからこそ彼は、今の状況に感謝しているという。それも下積み時代の苦労と痛みを覚えているからだろう。
クォン・サンウ語録③
「舞台挨拶のとき、観客一人ひとりがとても大切に思えて胸が熱くなったんです」(『マイ・デイリー』より)
「『美しき野獣』は本当に僕のすべてをかけて撮影しました。体が壊れるまで演技しましたし、試写会の反応もよく、観客動員も500万人以上になるだろうと、期待もしました。ですが、映画はなかなか興行面で良い成績を上げられず、僕自身かなり苦悩しました」
「そんなときです。『美しき野獣』の興行がぱっとしない状況のなか、封切り2週目に地方へ舞台挨拶に行ったのですが、観客の一人ひとりがとても大切に思えて、胸が熱くなったんです。観客の大切さを再確認し、それを感じ取った瞬間でした」
俳優なら誰にとっても、自分が主演したすべての映画が特別であるだろう。クォン・サンウも例外ではない。彼にとっても主演したすべての映画が大切だろうが、『美しき野獣』ほど特別な映画はないだろう。
初の本格ハードボイルド・アクションに挑んだこの映画で、クォン・サンウはワイルドで荒々しい頑固な刑事チョン・ドヨン役で登場したのだが、すべてのアクションシーンはスタントマンの代役なし。ケガを怖れず、体当たりで撮影に挑んだ。
その過酷さを、彼は「ギャランティーにスタント費用も加算されている」という冗談半分の言葉で表現したが、その言葉はそれだけ愛着が強いことへの裏返しでもあった。
しかし、『美しき野獣』は彼や制作スタッフたちの期待とは裏腹に、興行面で大苦戦した。
俳優としてすべての情熱を捧げた作品であったが、興行成績の惨敗はクォン・サンウのキャリアに傷をつけた。
だがしかし、『美しき野獣』はクォン・サンウに興行成績以上の価値を与えた。彼は観客一人ひとりがどんなに大切なのかを、学んだのだ。封切られるや観客動員数が青天井に上っていたならば…。
仮に500万人を突破していたとしたならば、彼は観客がこれほど大切であることに、気が付いただろうか。冒頭の発言はその部分について率直に認めるクォン・サンウの本音が詰まっている。
虚勢を張らず、現実を直視し、そこから何かを学び取る。クォン・サンウは、そんな人柄の持ち主なのだ。
クォン・サンウ語録④
「今、僕はスターと俳優の 中間地点に来ているようです」(『聯合ニュース』より)
「今、僕はスターと俳優の中間地点に来ているようです。青春映画は『青春漫画』を区切りにして、少し休みたいですね。素晴らしいドラマに出演したいという意欲もあるし、チャ・スンウォン先輩のように、おもしろいが感動を与えられる演技もしてみたいですし、チャン・ジン監督やポン・ジュノ監督が演出される映画にも出演してみたいです」
『青春漫画』の封切りを前にして、彼は自身のポジションについてそう説明した。突然スターダムに上がり、一晩にして有名人になった彼は、遅ればせながら演技の味を知り、役者として目覚めたようだ。
彼は『同い年の家庭教師』での成功後、『天国の階段』(2004年)、『悲しき恋歌』(2005年)のようなドラマに出演する一方で、『恋する神父』(2004年)のようなポップなロマンチック・コメディーにも出演した。
また、『マルチュク青春通り』(2003年)、『美しき野獣』(2005年)のような作品性の色濃い映画にも出演するバランス感覚を育んできた。
いったん大衆性の高い作品に出演した後は、作品性のある作品に出演するのが、クォン・サンウの作品選定のパターンだ。そのおかげで、各種映画賞で“人気賞”を次々と受賞する快挙も成し遂げた。
だが、演技賞を獲得したことはほとんどない。
「僕はこの映画で必ず賞を取りたいです。一生懸命やりましたし、恥ずかしくない映画です。いや、賞をもらえるでしょう」
評論家からも観客からも好評を得た『マルチュク青春通り』公開直後、彼は公然とそう語った。あまりにも正直だ。自分の欲望をそのまま淡白に表現する彼の勇気はどこか清々しくもある。
だが、不運にも“演技賞”の幸運は彼に巡ってこなかった。
『同い年の家庭教師』でも新人賞どまり。彼が目標とする俳優チャ・スンウォンも、演技力と興行力を兼ね備えているにもかかわらず、賞に恵まれない。
もっとも、クォン・サンウが今後も演技賞には恵まれないと即断することはできない。クォン・サンウは鍛錬を繰り返し、発展し続けているからだ。
「未だに自分は演技がうまいと、考えたことは一度もありません。人気賞はもらいましたが、演技を認められたことはないのですから。だから、どんな作品、どんな役柄に対しても、最善を尽くそうと思っています。それが、僕が出演した映画を見にきてくれた観客たちに対する、最善の恩返しですから」
この志をクォン・サンウは常に持っている。
文・画像 s-korea
②に続く・・