【第11回 劉皇叔 北海に孔融を救い 呂布  濮陽で曹操を破る】


~その10~(通算113回)
『呂布軍九騎将』



さて、曹操が軍を率いて引き揚げて来ると、曹仁が急いで出迎えて、
「呂布の騎馬軍は恐ろしく速く、強く、さらに策士陳宮がこれを補佐していて・・・」
と報告するのを遮り、
「曹仁、よく持ち堪えた。これより反撃開始だ」
と言って、曹操は曹仁の肩をぽんと叩いた。
曹仁は、これまでの悔しさと曹操が帰って来た安堵感とが入り混じり、泣きながら何度も頷き、そして逆転の勝利を誓った。


呂布は曹操が帰還したと聞くと、副将の薛蘭(セツラン)と李封(リホウ)を呼んで、
「これより、兵1万を率いてこの兗州(エンシュウ)の守りを固めてくれ。俺は軍を進めて曹操を打ち破ってくる」
と命じ、2人はかしこまって承知した。


これを兵士から伝え聞いた陳宮が、急いで呂布に会い、
「将軍は兗州を捨ててどこへ行くおつもりか?」
と聞けば、
「俺は濮陽(ボクヨウ)に出陣し、鼎足の陣構えを取ろうと思うのだ」
と呂布は自信ありげに答えた。
「将軍、それはいけませんぞ。薛蘭と李封ではとても兗州を守りきれません。ここより南に180里行った泰山の谷あいに精兵1万を伏兵として潜ませるがよろしい。曹操は兗州を奪還するために必ず急いで参るでしょうから、その半ばをやり過ごしておいて挟撃すれば、一挙に曹操を打ち破れましょう」
と陳宮は策を授けたが、
「ええい。俺には俺の考えというものがあるのだ。下がっておれ」
と呂布はそれを突っぱね、薛蘭たちに兗州を任せて出陣した。


一方、曹操軍が泰山の難路にさしかかった時、軍師郭嘉が、
「殿、用心なされよ。ここは伏兵を潜ませておくには恰好の場所」
と言った。
曹操は笑って、
「勇猛さしか取り得のない呂布にそんな頭はあるまい。まあ、やつの軍師になった陳宮ならばその策を提案するかもしれんが、いまや連戦連勝の呂布は自信を付けて驕っておろう。そんな男が、わざわざ伏兵の策を使うはずがない。ここは曹仁に兵を与えて兗州を攻めさせ、私は濮陽へ進んで呂布の不意を衝いてくれよう」
と答えた。
「なるほど。では、せめて早めに濮陽付近に陣を張り、兵たちに食事を与えて疲れを取っておきましょう。敵はこちらの遠征の疲れを狙ってくる可能性がございます。夜襲に備え、警戒も怠りなきよう」
と郭嘉。
「うむ。そうだな」
と曹操は同意し、軍を急がせた。


その頃、陳宮は曹操軍が迫ったと聞いて、
「いま曹操軍は遠路より来て疲弊しております。この機にこちらから攻め込んで一挙に打ち破るのが最善の策。奴らの気力を養わせるような事は禁物ですぞ」
と進言したが、呂布は、
「ただ一騎で天下を馳せまわったこの俺が、曹操ごときを恐れると思うか!奴が陣を張るのを待って、正々堂々と正面から戦って打ち破ってくれるわ!」
とこれも突っぱねた。


さて、曹操軍は濮陽の近くに陣を構えた。
翌日、曹操は広大な草原に陣容を整えると、諸将を随えて出陣し、遥かに呂布軍の来るのを待ち望む。


呂布軍の陣が整うと、呂布が真っ先に馬を乗り出し、その後ろから9人の勇将が並び進む。
これぞ、呂布軍が誇る最強の9人。
人呼んで「九騎将」である。
その筆頭は張遼(チョウリョウ)、字は文遠(ブンエン)。その武勇は呂布も認める、呂布軍の支柱である。
次いで文武両道、攻め落とした城は数知れず。「陥陣営(カンジンエイ)」こと高順(コウジュン)。
次いで怪力無双、膂力の臧覇(ゾウハ)。
そして左右から繰り出す双撃剣の使い手、技巧の成廉(セイレン)。
次いで郝萌(カクボウ)、曹性(ソウセイ)、魏続(ギゾク)、宋憲(ソウケン)、侯成(コウセイ)。いずれも屈強の猛将である。
呂布軍の総勢は5万。
鳴り響く陣太鼓は、天地を激しく揺るがした。



          次回へつづく。。。