【第11回 劉皇叔 北海に孔融を救い 呂布  濮陽で曹操を破る】


~その9~(通算112回)
『劉備、徐州牧を固辞する』



さて、使者の簡雍は徐州に戻ると、陶謙に書状を差し出すとともに、すでに曹操軍が撤退したことを報告した。
陶謙は大いに喜び、劉備や配下の諸将と、さらには城外に布陣していた孔融・田楷・関羽・趙雲たちを呼び寄せ、城内で盛大な祝賀会を開いた。


宴が果てる頃、陶謙は劉備を上座に招き、拱手して一同に向かうと、
「皆様、わしはすでに老いさらばえ、2児あれど、いずれも才なく、とても国家の重責を担える者ではございません。一方、ここにおられる劉玄徳殿は皇室のご一門であるだけでなく、徳は広く才も豊か。まさに、徐州の牧たるに相応しいお方だと思うのです。よってわしは、劉備殿に徐州をお譲りし、隠居して養生したいと存じます」
と語り、それを聞いていた陶謙の2人の息子も諸将も、異議はないと頷いた。
張飛は、
「よし来たっ!」
と手を叩いて喜び、関羽と趙雲は黙って劉備の返答を待つ。
慌てて劉備は立ち上がり、
「いやいや、私が徐州の救援に馳せ参じたのは義のためでした。にもかかわらず、その徐州を受け取るような事をすれば、天下の人々は私を義を知らぬ輩だと大笑いするでしょう。このお話、お引き受けすることは出来ません」
とこれをきっぱりと断った。
糜竺は言った、
「いまや漢室は衰え、四海は乱れる混乱の時代。功をたてて世に出るのは、今、まさにこの時だと申せます。徐州は民は多く土地も豊かで栄えております。どうかお引き受けくださいませ」
劉備、
「いいえ。こればかりはお言葉に随いかねます」
陳登も進み出て言った、
「陶謙様はお身体をそこねておられ、徐州牧としてのお役目を果たす事も難しいので、是非是非、劉備様に徐州をお任せしたいのです」
劉備は少し考えて答えた、
「ならば・・・家柄も良く、天下の人心を集めておられる袁術殿がこの近くの寿春におられるので、あの方に譲られてはいかがでしょうか?」
すると孔融が血相を変え、
「なんと馬鹿な事を!袁術など、家柄だけの無能な輩!あの男の性根は腐っており、もはや墓に埋もれた骸骨も同然!論外、論外ですぞ!今日の事は、まさに天の与えしもの。これを受けねば、後に後悔しても及びませぬぞ!」
と強く言ったが、それでも劉備は頑として聞こうとしない。
陶謙は天を仰ぎ見ながら、
「貴公が徐州を捨てて去るとあらば、わしは死んでも浮かばれませぬ・・・。どうか・・・どうか徐州の主の座にお着きくださいませ」
と、ついに涙を落としながら懇願した。
関羽、
「陶謙様がここまでおっしゃっておられるのです。兄上、しばらく代わって徐州を治められてはいかがですか?」
張飛、
「俺たちが無理やりよこせと言ったわけでもなし。向こうが受けてくれと言ってるんだから、何も遠慮する事はないじゃねえか」
劉備、
「お前たちは私に不義の汚名を着せたいのか!」
関羽、
「兄上、失礼いたしました」
張飛、
「なんでいっ!引き受けて絶対損はねえって!」
劉備、
「翼徳、もうよせ!私の気持ちは変わらぬ!」


・・・このように、陶謙は再三徐州を譲ろうとしたが、劉備は引き受ける気は全くない。


そこで陶謙が、
「もし劉備殿がどうしてもお聞き入れくださらぬとあらば、この近くに小沛(ショウハイ)という小さな城があり、軍をとどめておく事も出来ますゆえ、しばらくそこに軍をおとどめになって徐州をお守りくださらぬか?」
と提案すれば、一同も劉備に小沛にとどまるよう勧めたので、それならばと、劉備もようやく納得した。


翌日、陶謙から兵士らへのもてなしも済み、趙雲が去ろうとする際、劉備はその手を取り涙を流して別れを惜しみ、趙雲も、もし劉備が苦難に陥った時には、また駆けつけることを誓い、泣く泣く去って行った。
孔融・田楷もそれぞれ別れを告げ、軍を率いて引き揚げた。

こうして、劉備は関羽・張飛とともに手勢を率いて小沛に入り、そして住民を慰撫した。



          次回へつづく。。。