三国志の武将の文醜という名前は本名ではなく、
「文が苦手」
「字が下手」
だったから、
文醜というニックネームで呼ばれていた。
という説を書いてた本があったなあ。
たしか私が中学生か高校生のころに本屋さんでみかけました。
当時、お小遣いが足りなくて買えなかったんですが(^^;)
あの本はなんだったのか・・・。

それにしても、
河北が誇る豪傑が、みんなからそんなニックネームで呼ばれてたと思うと可愛いな。
文醜、きっと優しい人だったんだろうな。


ちなみに、相方の顔良は、
「イケメン」
だったから、
顔良というニックネームで呼ばれていた。
という説は私の知る限りではなく、
顔子推なる人の「顔子家訓」なる書に、顔良も一族の1人であったという記述があるそうです。
つまり、普通に本名だったということかな。
でも、きっとかっこよかったはずだ。
そう信じたい。