三国志演義』には、関羽(かんう)の息子として、数名の人物が登場します。

 

有名なところで、父である関羽と共に荊州を守り、

共に戦死した関平(かんぺい)、父の死後、孔明による北伐にも参加した関興(かんこう)などが挙げられます。

 

その中でも謎とされている人物が関索(かんさく)です。

史実には一切記されていないという、この関索という人物は一体何者なのでしょうか?

 

突然登場する謎の登場人物

劉備読書

 

三国志』をはじめとする史書に関索の名前は一切記載されていません。

そのことから架空の人物であるとされる関索ですが、一方、『三国志演義』での描かれ方にも、不思議な点があります。

 

『三国志演義』では実在した関羽の息子である関平(ただし『演義』では関羽の養子とされています)や関興が登場、活躍していますが、

関索の名は関羽が死に至るまで登場しません。

 

関索は孔明の南伐のエピソードの際に突然登場します。

関索は関羽の三男であるとされ、荊州で関羽が敗死した際、自身も大ケガを負って療養していたという生い立ちが語られています。

 

唐突に意味ありげに登場してきたこの関索なる人物、しかし、その後物語に大きく関わることはなく、気がついたときにはいつのまにか退場しているという始末。

関羽の息子ということなら、関平や関興が十分活躍しているので、わざわざ新たに架空の人物を登場させる意味はどこにもありません。

 



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