現在は、水やお茶以外にも、コーラ、オレンジ、メロン、グレープ、

ウーロン茶、様々な飲み物でドリンクバーまで出来る程ですが、

このように多様な飲み物は三国志の時代には、当然ありませんでした。

ところが一方で、今日では飲まれていないような、

様々なドリンクが三国志の時代には存在していたのです。

 

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周の時代から存在する公式ドリンク 漿(こんず)

 

漿とは、今でいう重湯の事で、水の中にドロドロした米粒が入っています。

周の時代にはポピュラーなドリンクで、まだ食べ物を売る店がない時代に、

漿を売る店だけは街中にあったようです。

お茶が存在しない当時は、お茶のかわりが漿だったようです。

 

また、漿は当時の食事のマナーにも登場し、食事を済ませた客は

口中をさっぱりさせ清潔に保つ名目で酒や漿でうがいをしたようです。

公式の席では、必ず漿でうがいをし、私的な宴会では酒でうがいをする

というような記述が古代のマナーブック、礼記「曲礼」に出てきます。

 

しかし、重湯で口をゆすいで口中がさっぱりするのでしょうか?

お酒なら、アルコール消毒で清潔になる気はしますが・・

 

 



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「将来を見通す才」において郭嘉(かくか)と互角の勝負ができる男が西にいます。

姓を賈、名を詡、字を文和といいました。

僻地とも呼ぶべき涼州武威郡の生まれです。

西方の涼州は、チベット系の異民族である「氐族」や「羌族」の侵入が相次ぎ、

住民は恐怖と混乱のなかにいました。

 

賈詡

 

賈詡(かく)はそんななかで都に上り、官位につくのです。

西暦174年(熹平三年)霊帝とその取り巻きの十常侍はある決断をします。

涼州の生まれで、当時一番の出世頭であった

太尉・段熲を異民族討伐に向かわせるというものです。

段熲は実際に西暦159年に羌族を撃破していましたし、

積極的に融和策をとって治安を回復し幷州刺史にもなりました。

段熲には実績があったのです。

段熲は安西将軍に任じられると故郷へ出陣していきます。

 

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董卓の配下になる

董卓えらそう 独裁

 

賈詡を、同じく涼州の怪物・董卓(とうたく)の生え抜きの臣だと勘違いしている方がいます。

ゲームで三国志をすると、スタートでは董卓は涼州にいて、

その有能なる臣のひとりに賈詡がいるというケースがよく見られます。

しかし、実際には董卓と賈詡のつながりはそこまで深いものではありません。

董卓に乞われてその旗下に加わったのは西暦189年(中平六年)のことになります。

霊帝が崩御し、大将軍の何進(かしん)が暗殺され、

怒り狂った何進の部下たちが宦官を皆殺しにします。

その混乱に乗じて董卓が洛陽に入り、少帝の身柄を押さえて権力を握るのです。

賈詡が董卓に呼ばれたのはこのときです。

賈詡は董卓の娘婿である牛輔の下で校尉となりました。

 

 



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所変われば品変わるといいますが、地域でさえそうなんですから、

時代を1800年も遡れば何を食べていても不思議じゃないでしょう。

それが、中華料理を生み出した中国と言えば尚更です。

今回は、なんと○○を食べていた三国志の驚異の食生活に迫ります。

 

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羊の生血に豉(し)を効かせた強烈酔い覚まし

曹操と羊

 

三国志の時代にも、飲み過ぎの二日酔いはあったようで、

宴会では前もって酔い覚ましの飲料が造られていました。

それは、羊の生血に豉という発酵大豆に塩を加えて混ぜ合わせた

酸っぱい飲料で血カン(月+臽)と呼ばれていました。

 

羊を殺してから逆さに竿に吊り下げて流れる血を器に溜め、

それに豉を混ぜて造ったようですが、逆に生臭そうで

「ヴェッ」とならなかったのか心配です。

 

恐らく、今でいうと、ムカデやマムシのエキス入りの

滋養強壮ドリンクを頂く感覚なのでしょうね。

 

 



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