「みんなと同じことができない人は、みんなと違うことができる」



私が好きな医学博士兼エッセイストの海原純子さんが書かれた著書『こころの格差社会』(角川書店)の中での一節である。


正体不明の大多数である、「みんな」と同じことができないからといって、自分を卑下する必要なんて毛頭ない。そんなメッセージがじんじんと胸に伝わってくる。

「みんな」と一緒じゃなくちゃ不安、「みんな」があれ持ってるんだから自分も持たなくちゃいけない


こんな心理は特に幼少の頃まで、私には強くあった。けれど、日本を出て広い世界を知るうちに、一過性の「流行」たる現象は日本だけと言っても過言じゃないし、「みんな」神話も日本特有のモノだと知った。

確かに日本は「集団性」をものすごく重視する社会だ。例えば受けてきた教育現場の中だけでも、修学旅行、受験、クラブ活動にまた受験、そして極めつけは集団就職活動という慣習…と十指に余るだろう。


集団で行動することで、協調性が養われることは確かだ。

けれど、自己を主張する能力、他人と違う自分に重きを置ける価値観や他人色に染まらないで自分の尺度で生活する力を含め、この社会に生きる日本人が失ってきたモノ、個々から削がれるモノも多いことも確かなのだ。


自分はあれができない、これができない、こんなの自分には無理難解、最低だ、と様様にして嘆く人間が多いが、そういう人にこそ、この一節を自身の、価値観の血や肉としてほしい。


「みんなと同じことができない人は、みんなと違うことができる」


これが当然だという社会になるには、およそ100年先かもしれないし、それ以前に、私たち個々が「みんな」現象の危機さに気付かぬ限り、「みんなと同じことができない人は、みんなと違うことができる」を肯定できる社会は、到底訪れるものではないという気がしてならない。