ラブロックは、まだヒトをガイアの一部と言ってくれるのか?



地球は、それ自体がひとつの生命体であり、生きている生物、生命、それら全てが地球(ガイア)の一部である。
みたいな考え方を昔に提唱した人、J・E・ラブロック。
人が火星を探査したころには、まだピンピンしてたんだっていうから、教科書に載るほどまでは古代の人ってわけじゃないみたい。

日本のエコカー減税にめどが付いてきた頃合いになって、「実は地球の温暖化は、太陽の異常活動のせいの可能性が強いんです」なんてNASAが言い出したらしい。
海外に通じている人は耳にしたこともあったみたいだけど、右を向いても左を向いても、エコエコ、アザラクアザラク言ってメディアが総出で騒いでる日本しか知らない人達にとっては、それは驚きのニュースだった。

ナサさんが大胆発言を公表するまでは、温暖化問題についてCO2の起因について異論を唱えたり、それこそ太陽の異常活動説を唱える学者や有識者たちは、なぜか問答無用でハブられていたらしい。

植物や虫、魚、鳥、爬虫類、哺乳類、その他もろもろ地球にある生命の全てが、実は地球のためにあり、異常と言われる気象も、地震も地球自身が「自分の為に」起こしている事象である。それは地球自体が生き物だからだ。

と、いう感じにラブロックさんの考えを解釈するなら、人だって当然、地球の一部のはず。
確かに増えに増えているけれど、これもガイアの思し召しだ、とラブロックは言うだろうか。
「自分の死が近いと知って人を創り、宇宙に自分のいた証を残そうとしたのだ」と言ってくれるだろうか。
それとも、人はガイアにとってガンのようなものだ、と言うだろうか。
「だから人は唯一、『自殺』という概念を持っているのだ。自分を造る生命には必要あるはずもなく、それはただ、絶望と共に拡がっていくだけだ」とでも言うのだろうか。

ブッチャケ、どっちでもいい。
エコが関係ないのかも知れなくてもいいし、エコビジネスを展開している人たちが世界から罵倒されてもいい。どうもできない。

ただ、最近読んだラブロックの本と、最近の話題が頭の中でつながって見えただけ。
「パブリックエネミー」を観て思った。

ひっさしぶりに映画のDVDなんて借りたなぁ。
しかもブルーレイ。
ぶっちゃけPS3で観れるのかどうか心配だったけど。

渋さ極まるジョニー・デップはラスト、映画館のシーンで何を思ったのかなー。
義理堅い人生を送ってきたジョニーの、謙虚さと自嘲と愛がこもった、あのメッセージ。
自分を自分で、ブラックバード、なんて形容、ジョニーは昔から思っていたのかも知れない。

俺の人生は、俺に関わる人にとってはきっと、ブラックバードなんてカッコいいものじゃないんじゃないかな。
せいぜい人に迷惑をかけないよう、せめて、動物園で足を鎖でつながれても羽ばたく鷹のようになりたい。

他人の前に自分のこと。
改めて分析してみよう。
もう一度飲み歩いてみるのもいいかも知れない。
”ブサイクの香水はなぜクサイのか”

今日の打ち合わせの最中、話もまとまってそろそろお開きに、という頃にでた議題。

その人いわく、論点は2つ。
前提として、ブサイクとは、ある日出会った初見の他人で、容姿も姿勢も嫌悪感を抱く人を指す、ということだった。

1つは、初見からして嫌悪感を抱かせるような人は「どんな香水をどんな量つけても、自分に近づこうものならイライラをかきたててくれるのだろうか」という疑問。

次に、「ブサイクはある程度自分の容姿を自覚していて、それを補うために必要以上の香水を自身に噴霧しまくっているんじゃないだろうか」という疑問。

自分の周りにそんな人はいないからうまく想像できなかったけど、仮にそんな人と出会ったとしても笑顔で応対しちゃうんだろうなーと思った。
そんなことより、最近嗅覚が帰ってきたもんだから、調子こいてBVLGARI POUR HOMMEをネットオークションで落札つかまつったばかりの自分は、その話題が出たとき「えっ、まさか俺のこと?今日はつけてないよ」と疑心暗鬼と針のむしろの心地悪さを感じてしまった。

早く帰ってゆっくり「神様のカルテ」の続きが読みてー、という当初の思いはいつの間にか消え去り、なんだか落ち着かない月例会でしたとさ。