大動脈解離A型退院後の生活    体調の変化

今回の入院生活で一番の打撃は歩行でした。とにかく大変で退院当時、歩行困難者になるのではと思いながらも必死でした。負担掛けないでおとなしくして頂戴という家族を他所に歩く、休んでは歩く生活を続けていますと10日では少し兆しが見えかけす。1週間では良くなったり同じだったり進捗が無いのですが、10日、20日となりますと微かな進捗が感じられます。

そんな生活でした。とにかく負担を掛けないでの生活でした。呼吸が荒くなると心臓にも負担がかかるので脈の上がらない程度で体を動かす毎日でした。

3か月でかなり先も見えだしました。半年の今7~8割ほど歩行が回復しました。

手術終えて凝ったのは脳が疲れましたので頭を使わないようにしていましたがそれでも最低限の事は動かさないと入院生活は出来ません。

家族の見舞いも5分位は会話出来るのですが、もう疲れます。

メモも最低限書くだけでした。

半年になってやっとこうして書くことも出来るようになりました。

視力も本当に落ちました。

退院して1か月車を運転は出来ましたが、10分程度、徐々に距離を伸ばし、3か月で 半時間程度、半年してやっと1時間程度なら乗っても大丈夫までになりました。視力もかなり戻ってきております。

アイボン洗顔薬で朝夕、調子見てもう2回などしておりました。

それから半年頃、ブルベリーエキスを飲んだら急に楽になり今は続けています。

こうしてキーを打つのもそんなに苦にもならないようになりやっと入院生活から退院後の生活について記憶を頼りにキーを打ち込んでいます。

同じような病気になられた方々、少しでも参考にして頂けたら嬉しいです。それぞれ違いがあり、あくまで私の事ですのでお役になるのか解りませんが、記録しております。

大動脈解離A型退院後の生活 歩行

全てがリハビリです。とにかくすべての行動がリハビリになっていることを痛感しております。

この病気で一番大変なのは歩行の回復でした。とにかく歩けない、人間は毎日歩いているから歩行に必要な筋力が維持されていました。

それが実感です。

どれくらい歩けないか、情けないほど歩行が困難です。私75歳日頃からよく歩いている方で1日7000歩は歩いていました。1年に一度は山にも登っていたくらいです。それがわずかの間に歩行能力ゼロ、まるで赤ちゃんのようです。

リハビリの先生に支えながら少しづつ距離を伸ばし退院前にやっと病院の通路を3周出来るまでになり、退院、それからが大変、どうして歩行をすればいいのか、先生も退院後どのようにするべきか詳しく教えてくれないのですべて手探り、幸い家の前、後ろに庭があり草引きから始めました。

椅子に座り作業10分ほどで休み又作業、そんなことを少しづつ続けておりました。少し歩く、座るが出来るようになりましたので裏の畑で草引きも始めました。リハビリの先生はストレッチがいいと言われていましたのですが、畑で座ったり立ったりの繰り返しをしていますと徐々に耐えられるようになりふら付きも少なくなり1か月で少し歩行が出来るようになりました。まだまだ杖なくては歩けません。夜中のトイレは壁を頼りの毎日でした。

3か月で2キロまで歩けるようになり、歩行のふら付きも減り、杖の頼りの度合いも減りました。

半年で杖も取れました。歩行もやっと楽になった感じですが、まだまだです。

スポーツセンターに行きたいのですが、胸の負担を考えてこうして足の筋力アップをしております。左腕を普通に使いたくありませんので右腕を頼りの生活です。

大動脈解離A型退院後の生活 高血圧について②

4か月の医大の診察から離れ6錠飲んでいた薬が4錠になりした。

ロスパスタチン2.5mg 1錠  アジルバ20mg 1錠 アーチスト10mg0.5錠

゛アムロジピン5mg 0.5錠が今飲んでいる薬です。

高血圧抑制も飲んでいますのて血圧は安定していますが、体感的には入院39日で体重計がどんどん下がり、元々165センチの身長で体重が68キロとBMIが59キロでしたが肥満でした。入院中に58キロまで痩せました。

その間体内の不純物もかなり減ったようです。特に血管内の不純物も減ったのかもしれません。

血圧も115/70位が多く時々85/70位のときもありましたが、徐々に収まって来ました。

2年ほど前らヘルスウオッチをつけるようになり

健康管理をしてきたつもりでしたが、発症しました。

悪玉コレステロールは血液検査で少し高いか正常範囲でした。中性脂肪も同じでした。

高血圧の改善には痩せることがどうも一番早い方法かもと思ったものです。

やはり肥満は高血圧の元、放置いるとやがて心筋梗塞、脳梗塞になるリスクは多いと思い、今は血管の管理を頑張っています。

とにかく食べ過ぎない、油脂分のあるものを減らす、糖質もかなり減らし血管の不純物を貯めないようにしております。

多くの先生方のyoutubeの意見を参考にしながら食べ物の管理をしています。

今は毎食何を食べたか、凡そ何カロリー取っているのかをエクセルで管理しております。退院後血圧だけてなく、尿の回数、便、歩数、体温、天気、等々記録して先生に診てもらっています。

今度からは食生活についても検証してもらい検討してもらいます。

きっちりとしたデーターは何より大事ですし、そこから見える変化で自分もどう変化しているのが解りますのでかなり大事なことだと考えております。

健康で暮らすため出来るだけ続けたいと思っています。

まだまだ学びの生活ですが、一つだけはっきり言えるのは、健康について漠然と考えるのでなく、やはり真剣に向き合うことで私のような事態にはならなかったと思います。

 

 

大動脈解離A型退院後の生活 高血圧について

医者から高血圧ですので薬を飲んで下さいと言われますが、医者は良く知っていて当たり前のこと、いちいち話さなくても解っているでしょうということであったのかも知れません。

私も高血圧という言葉だけが知っていました。

しかし、この高血圧は何故薬を飲まないといけないと言うことに関して漠然としか知識が無かったのが事実です、だから安易に受け止めていました。

しかし、今回の病気で改めて色々と調べました。

まだまた正確なのか解りません、若い時と比べある程度の年齢になりますと、食べ物で何を食べて生活を続けているのか、それによって血管内に少し不純物が貯まるこれが原因で血液の流れと心臓から押す力との関係で圧が掛かる。

その圧力のかかり具合で決まる事もやっと理解できました。

75歳になって知りました。

知らないというか、あまり深く考えないで生きて来たのは事実です。

動脈硬化になるのはそのまま血管を掃除しないで過ごしていることで今度は心筋梗塞、脳梗塞の発症につながるということです。

お風呂に入って体を洗うのに、血管の掃除は見えないのでやっていない。これが現実でした。年老いても血管はきれいになるらしいですので、今は努めて食べ物に気を遣う生活に変えました。

生野菜は何も掛けないで食べるかオリーブオイルを少しかけるくらいです。

焼き魚も何も掛けません。煮魚、煮ものは減塩醤油を少々、

ラーメンやうどんは汁は殆ど飲まないように心がけています。

こうして塩分を控える事と、油の多いものは減らすようにしたり、少しだけにしたりしてとにかくがっつり食べないように心がけ、カロリーも毎食大体計算して食べるようにしています。

この病気は安心できません。医者からも言われていますのは、治した所は問題ないのですがその先で又起こる可能性もありますと言うことでしたので、とにかく血管を柔らかくなる食生活にやっと意識出来ました。

血圧に関して高くても大丈夫と言う人もおられます。長く血圧はWHOでは上が160まで構わないということでしたが、日本の高血圧学会が140それから135に下げた経緯もありました。昨年でしたか、健康診断の診察の高血圧は160までとなり、それまで飲んでいたのも辞めた経緯もあります。高血圧の薬を止めたからと言うこともあるかも知れませんが、高血圧でいいという所から見ればどうなんでしょうか、私の母親が78歳の時心臓関係の病気で朝起きてこない・

亡くなっていました。多分私も遺伝していたのかも知れません。
でもこれも解りません。発症した事実だけは間違いありません。

今後どうなるのか解りませんが、努力しているつもりです。

好きでした酒も一切飲んでいません。あんな辛い思いするのだったら酒はきれいに辞めれます。もう2度とあのような事を経験したくありません。

人間の体できれいな血液でいることがこの体を維持してくれていることを強く味わいました。

最近血圧は朝一で125/75 夕方115/76位で安定していますが、昼前に血圧が下がるときもあり普通のときもあります。 この病気は血圧を上げない生活をして下さいと言われています。血管に負担がかからない生活らしいです。

今も時々思い出すのは、あの時の指令室の方、救急車の方々、ドクターヘリの緊急処置の方々、当然お医者さんのすべて、看護師さん、麻酔科の先生等々本当にありがとうと言う状態です。

今こうして7割ほど回復してきたのもそうした方々のお陰で今日あります。

多分死ぬまで忘れないことでしょうか、

大動脈解離A型退院後の生活その2

 

15日で丁度手術してから6カ月になりました。

少しは朝起きて今日も生きていたと言うことが少なくなりつつあります。身体的には7割くらい戻ったかと思う状況です。

特に戻りにくいのは足の筋力で完全に戻るかどうか解りませんが、自分としては完全に元に戻りたい一心で生活しております。

良く言われるのは年を取ると足から訪れる老い、本当に実感しております。

足の筋力は本当に戻りにくいです。

退院後もそれなりに歩いており、しばらくしてからは毎日7000歩を目標に歩いています。一度に歩くのは精々500歩ほどですがそれの積み重ねております。三か月後くらいで休まずやっと2キロほど歩けるまでになりました。

それくらい歩くことが大変でした。まだ杖は取れません。足のふら付きが中々取れないので仕方ありませんでした。

最近2キロ歩けたことがうれしかったこと、少し明かりが見えこれだと何とか元に戻るのではと思った時期です。

それくらい歩くという当たり前のことが出来ない日々でした。

体調の変化ではトイレの回数も落ち着いて来たようです。

便も安定して来ました。

近くの病院に変わり診察してもらうようになり医大とは一年後の診察になりした。

近くの病院の循環器内科の先生に診察してもらっています。

元々こうした手術も経験されていたとか聞いています。すべてをその先生に委ねたつもりで通院していますが、それでも解らない事が多すぎる病気ですのでyoutubeに発信されています多くの先生方の見解を参考にしています。

特に食事の影響による動脈硬化について色々と学び日頃の食生活に生かせればと考え学んでおります。

これが正解と言う答えはないと思いますが、それでも何とかして二度とこんなことにならないよう励むしかありません。

今日も老人会の支部長を途中で変わってもらったことのお詫びとお礼を皆さんにしてきました。

その折、神さんがまだ何か仕事をせよという事でこうして生かされたのかも知れませんと言うと皆さんがうなずいておられました。

5カ月で何とか杖は取れましたが、それでも不安な時や少し長く歩くときは杖を頼りにしております。

大動脈解離A型退院後の生活

退院後は一か月検診で血液検査とCT造影剤を入れての検査、この検査では血栓が見当たらないとのことでした。

薬を貰い継続することでした。

二か月後も同じ検査で異常なし、大きな病院で杖を頼りに長い通路を歩くのは厳しい状況ですが、これもリハビリと思い辛いのですが、車いすに頼りませんでした。

入院中もそうでした。箸も使えない始末、スプーンで食べた期間が長かったのも現実でした。

そんなこともあり努めてすべての行動はリハビリのためと思うようになりました。

三か月目は検査、診察はありませんでした。

四か月目は以前と同じ検査でした。

異常が見当たらなかったみたいで掛かりつけ医に移行してほしいということで、

近くの病院で循環器の専門医にその後は見てもらっています。大体毎月出向いて診察してもらっています。

とにかく解らないことだらけです。

それと退院してからしばらくして血圧だけでなく、体温、歩数、体重、血中酸素、尿の回数、便の状態、等をエクセルで管理し先生に診てもらうようにしています。

簡単な血圧管理だけでいいのか解りませんが、私の場合そうして管理しています。

そうすることでより健康管理について自分自身数字で自己管理できますので食べ物にも相当意識的に摂取しないといけないものを中心の食事になりましたし、量もかなり意識しております。

体重もBMIでは59,9キロなのですが、60キロを目標になるように食事しておりますが、中々下がりません。

かなり体力も着いてきましたのでそろそろあと二キロ下げたいと頑張っています。

体力と足の筋力アップが今の課題かと思う生活しております。

大動脈解離A型 入院その後

入院して手術してもらい少しは良くなったのか解らないままであったのですが、丁度一週間で看護師さんが尿の管を抜きましょうと言うことで言われるままにお願いしました。

7日で半時間だけ座らせてもらった。これが最初の変化です。

その日痛み止めの薬を貰い夜が寝やすいようにと睡眠薬ももらう日々が10日ほど続きました。入院してから二週間ほどしてから今度は便が出なくなり続いて尿も出なくなるという体調異変が始まりました。

尿はお医者さんに管を入れてもらい600cc 夜500cc取ってもらい何とか出るようになったのですが、便は一週間でなく、もがく日が始まりました。

入院中つらい事は沢山ありましたが、これは違う形で痛く辛い日々でした。ベッドの手すりに捕まり痛いのを堪えての日々が続きました。

当然睡眠薬を貰っても効かず大変な日々を過ごすことになり、それが退院を遅らせる要因にもなりました。

11日目リハビリの先生により20メーターの通路を二回歩かせてもらったのですがとても歩ける姿ではありませんでした。手すりを持ち支えてもらい何とか歩ける程度です。

便が出ないのでマグネシュウムの薬で今度は下痢続き、39日の入院で最後の一週間は穏やかに過ごすことが出来ました。

その間に右足と肺に血栓か出来ているということでCTをかけてもらうことが多かったです。

歩行は努めてするようにしたのもこうした経緯があり遅れていたので頑張ったのは確かです。一日2500歩病院内を歩いて過ごしました

退院時には血栓が無くなっているということで許されました。

こうして何とか退院出来ましたが、それからは退院後の生活が全くの試行錯誤の日々が続きした。

私がこのような入院から退院後についての生活の情報が中々見つけられず、何とか思い出して記録を残しておこう、少しでも参考になるようだとありがたいそんな思いで記憶を辿っております。

当然、すべての人が一致するとは思いません。年齢の違い、性別の違い、体力の違い等々発症された状況や経緯も違うでしょう。

でもこういう人もいるということでは何らかのお力になるのではと思っています。

今も続く試行錯誤の日々ですが、少し良くなったと思っております。

突然の病気で何の心準備もないままの病院生活、大動脈解離は息子が持ってきてくれた本で何となく理解ししたが、それでもほとんどが解らない状態でした。

退院後色んな先生方のYOUTUBEを見て学び凡その内容が理解できるまで来ましたが、それでも解らないことが多すぎます。

病院では腎臓食で過ごしておりました。味気ない食べ物ばかりで唯一カレーが出た時は最高においしかったことを覚えています。

お陰で塩分の無い食事にも慣れました。

退院後は運動と食事を中心にした生活が半年近く続いております。

助けてもらえたことが何よりです。お陰でこうして記録を残すこともできます。

毎日がありがたい日です。

大動脈解離A型  手術内容

当日朝10時半頃までは全く何の症状も無く元気に畑でスイカのマルチを片づけておりちょっと休憩のための為に隣の自宅で休んでいたことまでは記憶があります。それ以後の記憶が飛んでいます。その後は早めの昼食を食べたらしいです。暑いのでざるそばだったようです。そばが大好きで夏はとにかく良く食べます。美味しいのとのど越しがいいそれにたっぷりのネギをかけてまるでネギそばを食べているような感じの昼食でした。その日は孫4年生と妻の三人の日でした。3時半、私が胸が痛いので救急車を呼んでと妻に頼んだらしいのですが当然記憶はありません。

119に電話して住所など聞いてくれたらしいです。孫もありがたいことに本当に協力してくれて妻も心強かったことでしょう。

聞いた話で心臓マッサージをしてほしいということで言われるままに二回したら私が痛かったらしくそれも指令センターに伝えたということです。我が家に通常救急車は7~8分で来てくれます。

初めての救急車でしたので相当うろたえたことでしょうか、それでも孫がいてくれたお陰で気丈夫だったことかと、

救急車が到着して処置などしてくれたことでしょうか、近くにドクターヘリも来てくれ私は何も知らないままに運ばれました。

その間の記憶は全くありません。

当然医大に到着するのにはドクターヘリを使う方が早い、それだけではなかったのが救急医が乗ってくれておりその間に緊急処置を施してくれるありがたいヘリでした。

医大に到着してICUに運ばれましたがその日はお盆の15日先生方も少なかった事かも知れません。

ICUでは先の患者さんが手術中、その間5時間待ったという。

待つ間の事も解りませんが、それなりの検査や輸血などの準備などしてれたのか解りません。

後から聞いたことですが、胸骨を切り開かないと心臓が触れないので首の付け根近くから胃まで切られ処置して下さったようです。

気が付いたら看護師さんの姿が見え、周りを見渡した記憶が最初でした。体の右側に点滴の袋が10ほど左には注射器の太いのが10ほどあり見た段階で大変なことくらい解ります。口にはパイプがある状態でした。

大動脈解離A型になりました。

私の周りでも何人かこの病気にかかりお亡くなりになっておられますが、まさか自分がなるとは考えもしておりませんでした。

気が付いたときはICUのベッドでした。

四日前まで本当に元気で病気らしいものは無く畑仕事にあの朝10:30頃まで畑で遊んでおりましたが、その後家に帰り休憩、その後の記憶はありません。気が付いたのは二日後医師の方々、看護師さんの方々のお陰で何とか死の境から戻ることが出来ました。

始めは何でICUにいるのか解りませんでしたが、徐々にすごい病気になったもの、周りでも助かっていない人も多い中、奇跡的に命を取り留めて頂きました。

全て関わって下さった方々は本当に生きた神かと思ったものです。

そうした人々によって命を取り留めました。

39日の入院生活、本当に大変でした。今こうして入院中にメモ書きした手帳を振り返り、改めてその間の大変な状況を味わっておりますと同時にもう少しで半年になろうとしていますが、毎朝目が覚めると何を感じるか、それは今日も生かされていると思う毎日です。

目が覚めたらあー今日も生かされている、あの時お世話になった先生、看護師さんのお陰で今日も生かされた。そんな日がずっと続いております。

何としてももう一度戻る事の無いよう食事制限と運動を欠かさない日が続いております。

あの時の皆さんの神がかりのお陰で今生きています事に心の底から感謝です。

あの日はお盆担当医も少なくその上、先の患者さんの手術中、お陰で五時間遅れで手術、あの主治医の先生が二人の手術を休むことも無く食事も取れず20時間ほどの過酷過ぎる処置をして頂きました。

本当に感謝しかありません。

少しでも元気になり元に戻りますので、

お世話になりました。

皆さん神、仏はおられると思いますか、それともそんなのいませんと思いますか。

私は実は昨年のお盆の15日に救急車、ドクターヘリのお世話になり医大のICUで手術、病名は大動脈乖離A型だったようで

医師、看護師の手厚い看護を受け現在七割ほど回復しました。お陰で見えなかった神、仏の存在がはっきりと見えました。必ずおられます。ただ近寄る人には解りますが、そんなのいないという人には近寄ってくれません。ご縁と言うことをいわれますが、まさしく自らご縁を得ますと必ず神、仏の力によってお救いになるのをはっきりと味わいました。

お陰でここまで回復し、言語。身体の障害もほとんどなく過ごせますのも大きな力のお陰と喜んでおります。悟りという遠い世界でその道で修行したものだけが得られると思っていましたが、死の境に行きますとそれも見えました。

生かせてもらえたことだけに感謝、呼吸できることに感謝、このように生きる上で色んなことに感謝しますと、解ってまいります。

大変な病気はしましたが、代わりに余りにも大きなものを得ることが出来ました。生かせて貰っていることのすべて感謝の日々を過ごしております。