How to オマイリ。ぷろろーぐ。 | 踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

「踏んだり蹴ったり」って....あーた、被害者なら「踏まれたり蹴られたり」ってのが正しいんぢゃない??日本語ってばむつかしい...._| ̄|○  (BTW, ついでに、人も指せない「足の親指のトナリの指」を何て呼べばしっくりくるのか、教えてヱライひとっ!!)



(書かなきゃならないと思えるコト。が次々に出てきて今日まで延び延びになってしまった【お参りの仕方】にやっと入れるざます。Thanks, God.)



10 日程前。

最初にお参りした九頭龍神社本宮と
最後にお参りした箱根神社でおみくじを引いて キタ━━(°∀°)━━!!! のは、先日の記事の通り。

読み返したいから。いつも結ばずに持って帰ってくるのだけど(凶とか出たことないから余計?)
ソレは間違ってはいなかったモヨウ。

そして、[呼ばれると買わずにはいられなくなる??]お守りも、箱根元宮・箱根神社・九頭龍神社分を頂いて キタ━━(°∀°)━━!!! けど、「あちこちのお守り持ってても大丈夫だもん。神様たちはそんなにココロ狭くないもん。ココロ狭い神様なら要らないもん。」と信じてきたソレ。もやっぱり、間違ってはいないことが判明。

誰かに教わったワケじゃなく
ただ、ココロが欲する道を通って来ただけだけど

【“ココロ” に忠実】

それは結局いつもちゃんとアタシを正しく導いて来てくれた気がする。(時々痛い目に遭ったとしてもソレはソレで[学び]だし、その時の痛い目のおかげで叶うことがあるのは事実だからソレすら[必要]な[必然]なんだよ、きっと。)


神社本庁 > 神道のいろは > お参りのいろは > おみくじについて「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。また神社境内の木の枝に結んで帰る習わしもありますが、持ち帰っても問題はなく、引いた「おみくじ」を充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせてみたいものです。


神社本庁 > 神道のいろは > お参りのいろは > お神札、お守りについてお神札やお守りをたくさんもっていると心配してしまうのが、神さま同士がケンカしてしまうのでは、ということ。でも、大丈夫です。八百万神という言葉があるように、日本には多くの神さまがいらっしゃいます。神さまは、それぞれの御神徳をもって、協力して私たちを守ってくださるのです。


Oct. 13, 2016 at Hakone


神社本庁 > 神道のいろは > お参りのいろは > 神道での唱えことばについて仏教で唱える「南無」とは、梵語(サンスクリット)の音訳で、「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依して救いを求める唱えことばです。

これに対して神道では特別な唱え言はありませんが、神社に参拝するときや神棚を拝むときには、「祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え」(お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい)と唱える場合もあります。神道では自らの祓い清めが信仰的にも神様に近づくための大切なおこないとなっているからです。



閑話休題 ── 本題の Prologue。


御成敗式目(貞永式目)に



神者依人之敬增威。
人者依神之德添運。


【神は人のうやまいによりてを増し、
 人は神の徳によりて運を添ふ】

とあるそうでこれは

箱根神社 HP よりいかなる神も人間の崇敬をうけてこそ、その御威光を輝かすのであり、御神意を高めるのは人の敬の力である。その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、神の徳によってであるという意味です。神道の立場での神と人との密接な関係が的確に述べられている言葉です。

ということらしい。


“苦しい時の神頼み” とはいえ
そして
「神様はそんなにココロ狭くない」とはいえ

何も知らずに参拝するより[神様に対しての感謝と敬い]の念を胸にお願いごとをするほうが (・∀・)イイ!! に決まってるし、
【正しい参拝の方法】を知ることは[その気持ち]を示すための第一歩じゃないかと思う罠。


長くなって キタ━━(°∀°)━━!!! から、とりまここで POST。今日中に終わるのか??(謎)