Last Negative 2015 and the future in 2016。 | 踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

「踏んだり蹴ったり」って....あーた、被害者なら「踏まれたり蹴られたり」ってのが正しいんぢゃない??日本語ってばむつかしい...._| ̄|○  (BTW, ついでに、人も指せない「足の親指のトナリの指」を何て呼べばしっくりくるのか、教えてヱライひとっ!!)


トシノセに思い出した ── 思い出せた
大事なコト。
ネガティブを封じ込めるために、今一度。


感じる
意識する
対峙する
収集する
整理する
破壊する
再構築する
結論づける。


結論を出すまでのプロセスは
毎回そんなには違わないし
今回は “対話する” が途中に加わっただけ。

ま、だから余計

「やっぱりそうか。」
「結局それしかないか。」

それでいい。じゃなく
それがいい。

と。




感じる
意識する
対峙する
収集する
整理する
破壊する
再構築する
結論づける ── その前に。


もう一度だけ。
考え直そうとしてしまうのは

未練なのか
執着なのか
救いが欲しいのか。


....Cut the crap!!



正義の定義なんか知らない。

正誤には場面場面で判断基準が存在するだろう。
賛否の基準は個人の価値観だろう。
善悪の基準は属する集団のルールか独裁者の主観か。

結局

正義の味方だって
ヒトゴロシかもしれないし

革命のヒーローも
テロリストで終わっていたかもしれなくて

【勝てば官軍、負ければ賊軍】
戦勝国と敗戦国は表裏一体
結果だけの紙一重。

だから

振り翳された正義なんて見たくない。
偽善だ、綺麗事だ、建前だ、理想だ、ピュア過ぎる。
どう罵られても見たくない。



ダカラ僕ハ、両目ヲ塞グ。



誰かと関われば
摩擦は必ず生じる。


聞き違いや
勘違いで済んで
笑って終われるか

見解の相違から
相互理解に至るか
さざ波が立ったまま違和感を残すか

誤解が生まれて
軋轢を生み
確執にまで発展するか


関わる前には
知る由もないけれど

浅い関係なら浅くて済む傷も
深く関われば深くなるのは摂理だと

ぐるぐる回って回って
結局最後に残った

「やっぱりもういいか。」


それが、ね。



対バンで偶然再会出来たバンドさんとの
“あの” 逢瀬が何時頃だったかしら?
なんて過去の記録を手繰ってたら

掘り起こしてしまった記録 ──
閉じ込めてた、アイ溢れる日々の記憶。


オンリーワンだと気付いた表現に逢えなくなって

依存してていい。があろうが
逢えなきゃ日々は空虚しくて

同じコトを二度と繰り返さないように
好き。を沢山にして分散したハズなのに

大好き。は増えていって
特別。も生まれて

もう逢えない “ひとつ” の特別も
まだ喪失わずに済んでる(なのに不義理を果たし続けてる) “ひとり” の特別も

昇華させられない想い。があろうが
それは決して代償なんかじゃなくて
── だからこその “特別” で ──

唯一無二の代え難い存在だったんだ。
ソコにウソは絶対になかったんだ。



忘れ去るなんて出来なかった場所をまた近付けたことで思い出した
シアワセな夜。の記憶。

頑なになって棄てたあの頃はもう取り戻せないけれど

記憶の底に沈めた気持ちは
想い出として今
また、ココに在るから。


心機一転
単刀直入
誠心誠意
傍若無人
馬耳東風

大好きだからシアワセ。
を思い出しつつ

大好きだから大切。
から逃げたりせずに

踏み込み過ぎず
だけど
偽らずに真っ直ぐ

今年こそアイに行かねばです。はい。