覚醒していれば
死。 を考える。
死を考え
死後。 を夢想する。
死後を夢想すれば
自死。 が浮かぶ。
自死が浮かんでも
概念としてでしかないから
至りはしない。
選びはしない。
選びはしなくても
呼吸することからも解放されたい気持ちをリリースすることは
どう足掻いても出来ない。
死。
纏わりつく空気のようだ。
── 解放されない。
断ち切れない麻薬のようだ。
── 囚われている。
囚われている。
それだけだ。
死ねばラクになれるから。
と自死を選ぶヒトたちを
安直だとか
短絡的だとか
責めるつもりはないし
真似るつもりもないけれど
夢見るのは明日。
明日訪れるかもしれない死。
それは
「生きていたくない」 というよりは
「生きているのが面倒」 だからで
「死にたい」 という能動性はなく
「死んでたらいいな」 程度の受動的な憧れを抱いているからで
だから
夢見るのは明日。
明日訪れるかもしれない死。
それは、永遠に続く甘美な憧れ。
死を想い、描き、夢見ることは現実逃避か。
現実から目を反らしている生き方で、逃げで、ラクなことだと映るのか。
部外者には甘えと映ろうが
当事者にしてみればそれすら痛みだ。
解放されたくても自死を選べない不自由の中、呼吸し続けなきゃならない現実 ──
選びたくても選べる位置にいない現実。
召される日を夢見ながら
無駄に呼吸し重ねる日々は
見えない何かに責められける毎日で
逃げられない拷問が続く日々で
流れない血が止まらない、空気に潰されそうな日々だ。
背負ってなければ
逃げと笑われても
選べたのに、ね。