自分が “今” 感じてることを正しく把握していないと居心地が悪くてたまらないアタシは
湧いてくるソレを都度都度 “コトバ” にして変換するクセがあって
言葉にして整理する作業自体が悪いことじゃないとしても
表現に対峙してる時ですら “コトバにする自分” を止められなくて
(気付くと既に言葉にしちゃってるから止めようがないのね。)
自由であり、個であるべき表現に【品評】は不要だと知ってるから余計
無意識とはいえそれをしてしまう自分に辟易してしまって
それを聞きたいと思ってくれる人がいるのはありがたいことなのに
それでもやっぱりアタシのコトバで
自由でなくなったり
自分でなくなったり
しないか不安。だって呟いたら
複合遺産に登録したいレベルの超偏屈(まぁ、今すぐ。声を聴きたい唄ウタイのone of themでもある、アイしてやまない表現者でもあるのだが。)に
【偏屈のくせにくだらねーこと気にすんな。笑】
....って
そんなことがありましたのことよ。
不自由な ──
外界の抑圧に抗い切れなくて内界に溜め込まれてしまっている行き場のない想いが漏れてくるような表現や
窮屈な ──
未確立のスタイルに振り回されているような
現実とのギャップなのか “演じている” “作っている” 感が拭い切れない自信に欠けた表現が
【突き抜けた】を感じられる瞬間があって
そういう進化にも似た変化を目撃出来たりすると
なんか少しシアワセになれるのは事実。
偏屈(少しだけ。ね。)でも
偏屈なりに
ズレが埋められない世界と折り合いつけながら
【よき理解者】たちがいてくれることを頼りに
懲りずにもう少し
“伝える” も含めて
やってみようと思ってます。
偏屈は偏屈たちをアイしてやまないよ。
いつもありがと。
Luv ya heaps,