エガオニ、シタガエ。 | 踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

「踏んだり蹴ったり」って....あーた、被害者なら「踏まれたり蹴られたり」ってのが正しいんぢゃない??日本語ってばむつかしい...._| ̄|○  (BTW, ついでに、人も指せない「足の親指のトナリの指」を何て呼べばしっくりくるのか、教えてヱライひとっ!!)

縁あって先日出逢った女性ボーカリストさんが、「再始動」 を宣言する日記をアップされててね。
その中で、その時アタシが彼女に伝えた 「感謝の連鎖」 のことにも触れて

 『誰かに対して 「ありがとう」 って言う気持ちを抱いたら
  今度は自分が誰かに 「ありがとう」 って言われるように、
 「ありがとう」 をもらったら、「ありがとう」 を返していけばいいんだよ。』

そう言われたんだって書いて下さってて
改めて 「伝える」 を続けてきて ―― 「伝えない」 を選ばずにココまで来て良かったな、と。




「ありがとう」 を言うのは大切。
貰えば嬉しいコトバだし、礼儀としては必要なんだと思う。
だけどやっぱり、アタシにお礼を言ったり、したりする余裕があるなら

「いつか」 「出来る時に」 「違うカタチでいいから」 「出来る事を」 「他の誰かに」

してあげて欲しい。

その誰かがまた次の誰かに
次の誰かがまたその次の誰かに....

「ありがとう」 を “返す”んじゃなく
「ありがとう」 を “繋いで” いけたら
それはとてもステキなことじゃないかと思う。

偽善だと言われても、アタシはそう思う。


....ん。



門出を迎えた彼女と
いつもこんなヘタレの味方になってくれる君たちと
なんとなくこのページを気にしてくれているアナタという人に改めて捧げます。



迷ったら 「自分の笑顔がある未来」 を選べばいい。
困ったら 「自分の笑顔のために今出来ること」 をすればいい。

笑えるほうへ。笑えるほうへ。
それでいい。

走ったり歩いたり止まったり悩んだり、また一歩踏み出したり....ジンセイにはイロイロあるけど
行動の基準はいつも 「自分の笑顔」 でいい。

笑えるほうへ。笑えるほうへ。
それがいい。

笑えてない自分じゃ ―― 余裕がない自分じゃ、ヒトを思いやることは出来ないからね。
そんな気遣い、貰っても素直にはヨロコべないからね。


自分に優しく。
ヒトにも優しく。

自分の笑顔を死守することが
結局は大切な人たちの笑顔を守ることに繋がるんだと
ココロの奥に正しく刻んで

ヒトに優しく
だけど自由にワガママに

この不自由の中で精一杯 (うん。頑張らなくていい。「精一杯」 が最高だ。)
ドコかに劣等感を抱えた自分のまま
「痛い」 がわかるロックなジンセイを生き抜いて下さいまし。




新たなる一歩だね。

えいえいをーっっ!!