てんにまします われらのちちよ
ねがわくは
みなの とうとまれんことを
みくにの きたらんことを
みむねのてんに おこなわるるごとく
ちにも おこなわれんことを
われらの にちようのかてを
こんにち われらにあたえたまえ
われらがひとに ゆるすごとく
われらのつみを ゆるしたまえ
われらをこころみに ひきたまざわれ
われらをあくより すくいたまえ
あーめん。
本当の意味なんかロクにわかってなかったけど
(「みな」は「御名」でなく「皆」だと思ってたとか、「にちよう」は「日用」でなく「日曜」だと思ってたとか。ww)
卒園するまでになんとなく覚えてしまった「主の祈り」。
そして、
Forgive us our sins as we forgive those who sin against us.
── われらが人に赦すごとく われらの罪を赦したまえ
たとえアタシが1年に数えるほどしか教会に足を運ばない「エセ」クリスチャンだとしても(ぢゅっどーん。)
それがたとえ「自分が赦されたいから」という自分本位の理由だとしても
アタシはこの「みことば」の、この一節だけは、特に大切にして生きてきた。
「アナタは正しくて、相手は間違っている。」
それは誰のジャッジですか?
それは根拠ある絶対的真実ですか?
その根拠はドコからやって来ましたか?
相手の立場になって考えてみましたか?
その理由を受け入れることは難しいことですか?
赦さないのは何故ですか?
赦せないのは何故ですか?