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All About 「収納」捨てられないのはこういう人! 診断
All About 「収納」片づけてもリバウンドしない整理収納のコツ



捨てる・・・この言葉が、好きでは無かった。

私の父は昔から「捨て屋」と家族からあだ名されるほどで、

きれいな包み紙であろうが大切な思い出の本であろうが、

眼の前で遠慮なく破って捨てるような人だったので、

「捨てられたくないものは父に手渡すのはよそう」

などと、一応防衛手段(笑)をとったりしていたものだった。

そんな父の口癖は、「とっておいたって仕方が無い」「ゴミが増えるばかりだ」

「どこに置くんだ、そんな物」

当時は母も私も、大抵の「捨てられない」タイプの人間がそうであるように、

包装紙や袋、包み紙に掛けられているきれいなリボンとか、

添えられているカード、記念の粗品、シール、ちょっと珍しい形の瓶・・・

挙げればきりがないほどのコレクターだった。

つまり私は、間違いなく「捨てられない」タイプの人間だった。

「だった」と過去形なのは、少し前から、そうした考え方を見直そうと思って来たからだった。

それは、多分に個人的な理由付けから、「捨てなければ運気が下がる」

・・・そう思ったからなのだ。世間一般的にいえば、占い、風水のブームがきっかけになったと云っても良いかもしれない。

霊的に考えるわけでは無いけれど、使わないで取っておかれたものたちには、邪気が宿るとか。

物品の怨念が家中に充満して住む者の健康を害す。等々。

物理的に考えても、使わないものを取っておいても役に立たないし、衛生面から言っても、管理されていなければカビや埃がたまって健康に良くない。

古いものが溜まっていると新しいものが入って来ない。

合理的に考えても、捨てられない事は百害あって一利なし・・・。

本来が「捨てられない」人間なので、物を捨てるためには、ありとあらゆる理由を考え、

泣く泣く昔の思い出なんかを処分し始めた。

それは、母が病気で倒れてから、在宅介護をするようになってからが始まりだった。

色々な事があって体が弱った母を見て、医学的な事はもちろんの事、家族や先祖の事、

何かの因縁ではないか・・・とか、関わる人達の運勢に至るまで、自分としては良く熱心に調べたなと思うくらいに調べまくった。

さすがに、拝んで貰うような事(お祓い)はしなかったが。

一種のマイブームだったかもしれない。其れで辿り着いたのが、「捨てる」事だった。

誰にとっても、整理整頓は必要な事なのだろう。大きく言えば社会現象にまでなってしまうが、

そこまではふくらまさない。その時は本当に、物にたまった怨念みたいなのが、

家中の運気を落としているのだと考えた。

捨てたねーーーー!古い家具、古い衣服、古い調理器具、賞味期限が過ぎた缶詰、

これまた賞味期限が過ぎた食用油の缶(これが半端ないくらいあったが、何かに使えないのだろうか・・・)

欠けた食器や昔の本。

一番多かったのが、紙の類だった。

これだけは、今でも心が痛む。CMであったでしょう。

誰かの心が捨てられていた・・・って(夏目漱石の「こころ」に引っかけたものだった)

捨てたもので一番多かったのは、小さいころから少しづつ買い集めていた、大量の漫画や文庫本だった。

其れは、家のものではなく、私、「自分の過去」だった。

いくら捨てる事が良いと云っても、相談もなしに決めたわけではない。

家族で話し合って、相談してやっと捨てることに決めたものだ。

しかし、自分のものは違う。自分の持ち物に対する愛着は、自分にしか無い。

「捨てようかな」と言うと、「自分のものは自分で決めなさい。ママは何とも思わないから」と答えが返ってくる。

其れで吹っ切れた。何度も言うが、これは何年か前に私が運気を上げるために考え付いた、

最後の手段なのだった。今考えれば、あそこまで捨てなくても良かったのに、と後悔する節が多々ある。

後悔・・・自分で決めた事を後悔する・・・それだけはしないように思って来た。

過ぎた時間は取り戻せないし、してしまった事はどうしようもない。

もっとああすれば良かった、別の手段があった、とは、過ぎてから冷静になって判断する世迷言なのだ。

確かに、あの時は、捨てて良かった。ゴミがあんなにあるとは思わなかった。

捨てる事は悪い事ではないし、思い出を処分するのも、考え方の切り替えには良いきっかけである。

・・・それで・・・家の運気はどうなったかと言うと、

まぁ・・・見た目では良く分からない。

母の状態が良くなったわけではないし、大量に捨てたことで部屋が片付いた・・・とも思えない。

結論から言えば、捨てた分だけ入ってきた。

私が本などを整理し始めた事を知った友人が、自分も片づけをはじめ、

彼女が昔集めた大切な本などを、「大切にしてくれる人の所に置いてほしいから」と、

金額でいえば全部で数万円もする本やビデオなどを、五千円ほどで譲ってくれた。

「ただ」ってわけにはいかなかったのだろうね(笑)うん。それだけの価値のある物だった。

つまり、私が捨てた自分の過去の隙間に、他の人の過去が入って来たと言う訳。

因果?一人の人間の持つ量が決まっている?うーーーん・・・

私の持ち物は、誰にあげると言っても「いらない」・・・と、断られたのだけれども・・・。

何が何でも捨てれば良いって言う訳ではない。

保存しなければならない大切な物と、そうで無い物との区別はつく。

ただ、「捨てる」事が物を粗末にするというだけではなく、

本当に大切にしなければならない物が何なのかを見極める為の行為だとしたら、

今までただ単に取って置いて捨てられなかった私は、

その方が余程、物に対して勿体ない事をしていたんだなぁ・・・と、気付かされたと思う。

本に対しては、今もチクリと胸を刺す物がある。後悔してはいけない。

でも・・・。あの時分、運気とか宿命だとかにはまって、

母親の病気の為に自分も気が変になっていて、

狂ったように手当たり次第本を手放した。

どれどどれ、なんて分別なんてしない。いくら捨てても本の類はまだどっさりある。

これでほんとに、あんなに捨てたのだろうか。

資源ごみの日、小学生が言っている声が聞こえた。

「あっ、漫画の本が捨ててある!あっ、シリーズになってる。持って帰ろうかな」

「よせよ、せっかく資源ごみの日に出してあるんだ。これだって立派な資源なんだ」

ああ君たちは偉い。本を貰ってくれたらどれだけ良かった事か。

家電のゴミは、出すとすぐに誰かが持ち去ってしまう。

あれは・・・本当はいけない事なんだろうね。

小さい頃は「捨て屋」と私に言われていた父が驚くほどにゴミを出しまくった年だった。

まだそんなに時は過ぎていないけれど、まるで遠い日の夢のような気がする。

本性はやはり変わらず、少しづつ物が溜まる日々となっている今日この頃。

あの年、捨てた本は、何冊くらいだったのか、何の本を捨てて何が残っているのか、

死ぬほど後悔するかもしれない。

其れが怖くて、いまだに確かめる気にはならないのだ・・・。15:52 2010/03/08

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