昨日の私のブログの記事「私の価値」は、ずっと私の心の中で渦巻いていたドロドロに気が付いて、吐き出したものです。
心のドロドロに気が付いたきっかけは、北山裕子さんのこの記事でした。
要約すると、自分の感じる価値には2種類あるとのこと。
1.感動する出来事があって、生きた価値があったと思う時
(私はここにいられてよかったと自分の喜びに価値を感じている)
2.誰かに必要とされて、自分の価値を感じる時
(人から見た自分を評価し、満足し喜び価値を感じている)
私は、2の価値しか考えていたことがありませんでした。
人から必要とされること、求められること、認められること、称賛されること、それこそが人生の目的であって、誰もがそれを目指して生きるものだと思っていました。
でも、その考えだと、いつも周りに振り回されることになってしまい、幸せからは遠ざかってしまうんですね。
以下、斜体の部分は引用です。
私は、2の価値しか考えていたことがありませんでした。
人から必要とされること、求められること、認められること、称賛されること、それこそが人生の目的であって、誰もがそれを目指して生きるものだと思っていました。
でも、その考えだと、いつも周りに振り回されることになってしまい、幸せからは遠ざかってしまうんですね。
以下、斜体の部分は引用です。
人は、誰かが自分がいることを喜んでくれたらうれしいものです。
それは大きな生きがいにもなりますが、それが感じられなくても、自分の喜びにも価値を感じられたら、人はもっと幸せになりやすいのではないかと思います。
どうにかしたい問題は世界にたくさんありますし、その役に立てるとうれしいですが、その前に自分が自分のままで幸せであること、これは何より大切なことのように思います。
自分すら幸せでないのに、人を幸せにはできませんし、実際自分を幸せにできるのは自分で、その幸せの波動は地球を癒すことにもつながります。
ですから、自分の使命が分からないとか、人生の目的が分からないとか、自分に価値を感じられないという方は、人の役に立つことのうれしさに依存しないで、まずは自分を自分で喜ばせてあげましょう。
そして自分がうれしい時、「ああ、生きていてよかった!」と思う時、
今日を生きた価値があったなぁとただ喜びましょう。
人生の価値を感じるのは本当はとても簡単なことです。
そうして自分が幸せで心が健やかな状態で、自分にできることを楽しみながら人にも喜んでもらえることをしていくといいように思います。その時は、もう依存ではなく、重くもなく、軽やかに本当の意味で周りを幸せにしていけるように思います。
それが結果として使命や生きがいになっていくように思います。
この記事を読んで、「もっと自分の喜びを大切にしなければ」、と気が付きました。どうしたら自分が喜ぶのか、もっと真剣に、本気で探します。
いつも思うのですが、北山裕子さんの本ができたらいいのになぁ
そしたら、たくさん買って、いろんな人にプレゼントするのになぁ、と思います。
清らかで優しい言葉に癒されて、心が浄化されるよなぁ。
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