仕事に対する姿勢
【 ゆるく、優しく、楽しく 】我が家のモットーです。日々穏やかな気持ちで、ニコニコ笑顔の絶えない家庭というイメージ。長らく病んでいましたが、現在は心地よい幸せな日々を過ごせています。
ただね、仕事に関してはちょっと不思議な感覚なのです。感謝はしているけれど、なんとなく違和感を感じていたりするのです。なんていうか、気楽すぎてまるで張り合いがないんですよ。仕事に関して任されていても自分の能力の半分も使っていないんです。そういう風にしむけたのは他ならぬ自分自身。職場の人間は皆凄く出来た人・・・私から見ればちゃんとした人達です。私はと言うとまるで出世欲がなく、とにかく責任から逃れたい。それなのに変にプライドだけは高い。だから周りからは頭が良いやつだと思われるような態度を取ってきたのです。本当は無能なのにです。
昇進のお話だってありました。だけど私は尊敬できる上司が一人もいないし仕事にやりがいなんて求めていないと言い切り、万年平社員の道を選んだのです。本当は違う。人の上に立つことで自分の無能さがバレルのが怖かっただけなのです。それに見合うだけの努力はしたくない。上司の指示に対しては、やらなくてもいい理由を探し反論するという姿勢です。むちゃくちゃ煙たい野郎です。言いたいことは、はっきり言うわりに指示する立場にはなりたくないという矛盾。他人にどう見られているのかを気にするのに、何にも動じていないふりをする。本当は凄く気の弱いビビりなのに、メンタル凄い人のようにふるまう。資格試験には絶対に落ちない。むちゃくちゃ勉強したのに何もやっていないどころか試験前日にわざと同僚を誘って飲みに行くなんてことをしていました。
だから、職場では天才肌というか、若手は私のことを【 頭のいい人 】という表現をします。全然違うのにね。
このままダラダラと任された仕事さえ、そつなくこなせば、それなりの給料は貰えます。別に特別に裕福とは言えないにしても、世間のサラリーマン平均収入の倍位はあるのです。何の役職もないですが、一応大手企業なので、頑張っても頑張らなくても実は対して変わらないというのは、私のやる気をそいでしまっているという原因の一つではあるでしょう。
それでもきっと自分はそんなに肩ひじはらずに気楽に生きてさえいれば、幸せだなって思っています。与えられる仕事は正直余裕でこなせます。2時間で終わることを8時間かけてやっている、そんな感覚。
仕事に関してはお金をもらう為にやってはいるのだけど、ただ時間を無駄にしているという虚しさもあるにはあるのです。なんだかんだで、もっと自由な時間が欲しいと感じてしまいます。サラリーマンは気楽ですが、拘束されている感は常にありますからね。
【 欲に向きあっているのかわからない 】
私には、ほぼほぼ物欲というものがありませんでした。というか、20年余りもギャンブル以外のことに、ほぼほぼ興味を示すことはありませんでした。頭の中はギャンブルで楽にお金を稼ぎたいという思考ではありましたが、儲けたお金をどうするという視点には欠けていたのです。
ギャンブルって種銭がなくなったら継続できませんから、基本凄くケチになるんですよ。湯水のようにパチンコで1000円札をサンドに投入するのです。それなのに、お昼ご飯をケチったりする。で、たまに大勝しようものなら、一気に豪華な食事をしたりするのです。
で、実際の所は、ちゃんと物欲だってあるはずなのです。でもね、欲を持てば持つほど、求めれば求めるほど、惨めな気持ちになるのが嫌だから、感情に蓋をしている状態でした。ギャンブルに現実逃避をしていただけ。その時は自分が依存症だなんて、みじんも感じていないのです。依存症って、そういうものなのです。自覚して、はじめて克服できるものなんですよ。
私には、ずっと不足感がありました。とにかくお金がないという不安です。で、それを不幸だと捉えていたのです。
幸せは、すでに自分の中にある。ないものに目を向けるのではなく、あるものに感謝する。そうすれば、満足が増えていき、不足感が減っていく。
確かにその通りです。幸せの感度を高めることで、より心は軽くなるのは事実です。
実際に不足感による不幸を感じ続けていた私が今に感謝できるようになったのですから。
ここで一つ考えなければならないことが、発生しました。
欲は持たない方がいいのか否か。
人それぞれ、感度や価値観は違います。同じ状況になってもその事象そのものに意味はありません。意味づけするのは、いつだって自分の心、気持ちです。よくある話ですが、コップに半分はいっている水に対して、半分しかないと思うのか、半分もはいっていると捉えるのはまるで心のもちようが違ってくるのです。
幸せの感度をあげるのであれば、そこに感謝できるかどうかが重要なポイントとなってきます。でもね、この思想を続けていけば、向上心というものが、まるで無くなってしまうのです。だって、現状に常に満足することに他ならないのですから。
成長だとか、努力とか必要ないのだと感じてしまうわけです。欲を無くせば幸せになれるってのは、なんとも前向きではないような気がするのです。逆に欲を出せば出すほど、人は現状に満足できていないというジレンマを生じます。どこまで行っても頑張り続けなければならないのでは、心身共に疲弊してしまうでしょう。そんな人をたくさん見てきました。
向上心が必要かどうかってのは、環境によるものが大きいのです。特に私のような会社に所属しているサラリーマンや多数で仕事をする場合、努力し会社に貢献しようという姿勢は評価をされます。対して向上心のない人は、悪とさえ捉えられます。「もっとやればできるのに」「能力あるのにもったいない」なんてことを平気で言われたりするのです。特に日本という国は。だから、世界幸福度ランキングが低いんだよな。
このままでいいのか。もっと頑張って成長したらいいのに・・・それが本当に幸せに繋がるのかどうかは別の話です。
じゃあ、どうすればいいのか。
向上心を持たなければならないなんてこと誰が決めたのでしょうか。確かに、会社に属している以上は、他者のモチベーションを奪ったり、暗黙のルールからはずれる思想は、悪と判断されることもあるかも知れません。
それでも、本当に大切なことは自分にとってどうかというのが大切なのではないでしょうか。
問題は、なんのための向上心かを自分の頭で考えること。どうして向上したいか、あるいはしたくないか。
今とは別の形を求めて幸せになりたいのか、今あるものに感謝し満足するのか。
どちらでも良いのです。幸せの形は一つではありません。そしてそれを悟るのもまたひとつの成長なのです。
【 やらされているから楽しくない 】
私は、現段階で仕事に対しての向上心があるとは言えません。そして、仕事を楽しいと感じていません。気楽には働いているものの、そのこと自体が幸せかと問われれば、感謝はしていても手放しで幸せとは言えないでしょう。あくまでも、生きるためにお金は必要最低限必要だから、特にやりたくないことを惰性でやっている感じです。苦痛というよりは、退屈という感じでしょうか。
好きなように生きるをもっと追求したい欲が生まれてきているのは事実です。
長い間思考停止で生きてきたせいでしょうか。自ら挑戦するのを諦めていたのです。失敗するのが怖くて恥ずかしくて。
自分のやりたいことさえよくわからない。何が好きなのかも追求しようとさえしない。
【大企業にいるサラリーマンは気楽だし、安定してるし幸せだ】
これは、入社当時に私が感じていました。実際は、自分の純粋な考えではなく、政治、経済、学校教育等に洗脳されていただけだったのかも知れません。いや、きっとそうでしょう。それが正しいとか間違っているとか善悪をつけたいのではありません。自分の感情をないがしろにして、ただ、誰かに言われたことをやってきただけ。自分の人生を生きていない気になるのは、きっとやらされているという気持ちが強いからなのです。
サラリーマンを続け、25年が経ちました。自分はこのままサラリーマンとして定年をむかえるものと思っていました。そしてそれが家族にとっての幸せで、私にとっても望んでいる形だと思い込んでいたのです。
本当にそうなのか。自分に制限をつけていただけなのかも知れない。
人はいつだって変われます。自らの意志で勇気さえ持てたら、今とは違った景色が見える。それを経験しなければ、死ぬ間際にきっと後悔する。思ったが吉日。
突然スイッチがはいった自分。行動し考え継続すれば、経験を手にすることができると確信した。
【とも(知)かく(覚)うご(動)こう(考)】私と同い年で妻の生年月日と同じGACKT様の言葉。
私に一番足りなかったこと。【ともかくうごこう】
まずは、初めの一歩を踏み出す勇気を持とう。
