先月、ピアニストの中村紘子さんが亡くなられた。
大腸ガンで72歳だったとのこと。
生涯3800回もコンサートをこなし、亡くなる2ヶ月前までステージをこなし
最後までピアニストであり続けることは本当に凄いことだと思います。
思えば、私たち世代の女子は、小さい頃ピアノを習っていた人がとても多いのだけれど
中村紘子さんの影響も大きかったんじゃないのかなぁ。
You-tubeで、中村紘子さんの追悼番組やら、昔の記録などみていたら
1960年、彼女が16歳の時にN響の海外遠征にソリストとして参加、世界のあちこちで、
なんと振り袖を着てオーケストラと共に弾いている映像が出てきました。
堂々としてすばらしい演奏でして「いや〜たいしたもんだなぁ」感心してしまいました。
それからNYのジュリアード音楽院に留学→
1964年にはショパンコンクール4位入賞と海外で大活躍!!
そういう海外での彼女の活躍をテレビで見た私の両親世代からすれば
さぞかし誇らしいあこがれの存在だったにちがいありません。
女の子の親ともなれば「うちの子にもピアノを・・」という夢を持つ人も多かったのでしょう。
今、中国でランランやユンディーにあこがれてピアニストを目指す子どもが多いのと
同じですね。きっと。
彼女は生涯、クラッシックピアノのすばらしさを一般の人達に広げたいという思いで
いろんな活動をしていたという話も追悼映像で知りました。
実は前から不思議だったんですよ。
彼女の手は小さくて、本来ラフマニノフやリストやチャイコフスキーのパワフルな曲を弾くには
向かないはずなのに、どうもいつも大曲ばかり選ぶ傾向があったんです。
私も一度、中村紘子さんがラフマニノフのピアノ協奏曲2番を弾くというので
渋谷に聞きに行ったんですが、ちょっとガッカリな演奏だったのを覚えています。
あの曲は、まさに手の大きい男性、もしくは、男性なみのパワーのある女性でないと
うまく弾くのは無理なのに、手も体も小さい彼女がどうしてそういう選曲をするのかな。。。と・・
でも、たしかに一般の人にクラッシックの良さを知ってもらうためには
ひとりでも多くの人に、名曲を聴いてもらいたい。ということだったのかもしれないですね。
CMに出たり、歌番組に出たりするピアニストは他にいませんでしたから
私たち世代にとっては、彼女がクラッシックピアノの代表みたいなところがあったもんな。。。
最後に、彼女の名言をひとつ。
多分NHKの教育テレビのピアノのレッスン風景を放送する番組で
緊張している生徒さんにかけた言葉です。
「緊張した時にはね、すべての欲を捨てるの。
欲を全部捨てて、自分はこんなに小さい存在だけれど、せいいっぱい歌おう。
そう思うとね、落ち着いてくるものよ」
16歳の彼女が、1960年に海外で大人のオーケストラと共に演奏した時の
きりっとした振り袖姿が目に浮かんできました。
私も今度そう思って弾くことにしよう。。。と心に刻みましたぞ!
心からご冥福をおいのりいたします。