「若き薩摩の群像」を感じる。 | 『渡加とか』のブログ 

『渡加とか』のブログ 

英語が話せない整形外科医のカナダ臨床留学日記

そう、われわれ、
医師になりたかったわけでなく、
一生サッカーしたいから医師になったのだ。。。

大学当直中。

フットサル負けてしまいましたが、がんばりました。
選手・スタッフのみなさんお疲れ様です。

亘、こーたろー、翔太。
君たちの気持ちはもらいました、ありがとう。

来週、後輩たちが君ならの背中をみて西が丘で輝くはずです。
君らが勝てなかった西が丘で。

んで、行ってきました関節病学会。
行ってきました薩摩・鹿児島。

人生初鹿児島です。

まずは股関節鏡パネルディスカッション。

会場に早くついたので、目の前の桜島を堪能。。

と、言いたいところだが
「鴨池運動公園」
が気になる。

あの
「フリューゲルス」
が準ホーム?にしていたグランド。

これまた、目の前。

どちらも見ながら関節病学会の抄録集に目を通す。

会長の鹿児島大学小宮教授の「挨拶文」をみてドキドキした。
だいたい、学会の挨拶なんて面白いもんではない。
ありきたりの文章と感謝っぽい文句とちょい自慢みたいな・・・

しかし、ダンディ小宮教授の「挨拶文」は違った。

その文章はこう始まる

”新幹線終着駅、鹿児島中央駅前には「若き薩摩の群像」があります。
明治初期、新生日本の黎明を目指して自己研鑽に務める薩摩の青年たち・・・”
と。

とても、学会の挨拶文ではない、強烈なメッセージだ。

全文は記載できないが序文をここに書き写す。


”新幹線終着駅、鹿児島中央駅前には「若き薩摩の群像」があります。明治初期、新生日本の黎明を目指して自己研鑽に務める薩摩の青年たちの姿を生き生きと示しております。開明的だった薩摩藩は幕末期に国禁を犯して19人の若き精鋭を英国に派遣しました。彼らは帰国後「藩」という枠に捉われることなく、黎明期の近代日本の国家建設の原動力となり大きな役割を担いました。時代の先を読む先見性、それを実行する爆発するようなエネルギーがあって初めて可能となる偉業です。
 その道の第一人者になるには莫大な、長時間にわたる継続的な自己投資が必要となります。それ以上に大切なのはその道に踏み出す行動力です。われわれ医療にも同じことがいえます。・・・・・・”

その先は想像に任せます。

閉鎖的・保守的・体育会・・・といわれる医局のトップがこの考え。
「医局」などにとらわれるな、世界に飛び出せ。
自己研鑽せよ。
志は高く。
そして・・・その道に踏み出すべし。

自分の心に突き刺さります。

若き薩摩の群像。

勉強不足で知りませんでした。

自分の「道」である股関節鏡で充実のディスカッションを終え、
自分の「道」である「サッカー」スタジアムを横目に

「若き薩摩の群像」
に向かいました。

その、国禁を犯してまでも英国に渡った19人の責任者は34歳。

Sandy37歳。

なにをのんびり進んでるんだ自分。


・・・チカラでました。
鹿児島にあるチカラもらいました。

そして、知覧に行きました。
知覧は軽々しく書けませんので行って下さい。

ただいえることは
「平和の大切さ」
「日本を思う気持ち」
「家族を思う気持ち」
です。

小宮先生の挨拶文の最後にはこんな言葉が・・・

”11月の鹿児島は温暖な気候に恵まれ、新鮮豊富な食材と温泉が皆様を歓迎してくれます。学会終了後の土曜日と日曜日には風光明媚な鹿児島各地域にそうぞ足をお伸ばしください。”
と。

と、ゆーことで、恒例の・・・