前回からの続きで渡米理由についてです。

大学院を出た後、日本の製薬会社に研究者として12年ほど勤めました。その間、複数のプロジェクトに関わり、医薬品研究の過程を学ぶことができました。知識やスキル、経験を含めた研究者としての今の能力はほとんどここで培われたと思います。

 

30歳の時には会社の留学プログラムを通して、今住んでいるサンディエゴにある研究所に留学させてもらいました。たった1年間ではありましたが、その時のアメリカでの経験が自分のその後の人生に大きな影響を与えることになりました。文化や街並み、自然を含めた生活環境がとにかくとても自分の理想とマッチしていて、帰国後もまたあの時のような時間を過ごしたいと常々思いを馳せていました。

 

日本社会では多くの人が30~40歳の間に自分のキャリアを見つめ直すと言われます。その際に様々な事柄を天秤にかけて、その結果転職する決断をする人もいます。自分も例に倣って、35歳を前に自分の将来を考えるに至りました。仕事内容や人間関係などの職場環境に不満はありませんでしたが、いろんなことに小慣れるためか、年を経るごとに刺激が少なくなり、それと共に時間の経過を速く感じるようになっていきました。歳を取ると1年経つのが早いなぁというあの感覚ですが、自分にとってこれがとても恐ろしいことでした。気がつけば定年を迎えていたとか、振り返った際に楽しかったのは入社数年の若かりし時だけだったなんていう寂しい事態にならないだろうか、など。要は、自分の人生を物語に見立てたとして、面白いのは前半部分だけで後は尻切れトンボみたいなストーリーになってしまうことだけはどうしても避けたかったという具合です。

 

その思いに至った時、アメリカ生活をもう一度目指すことは、チャレンジングではありましたが自分にとって決して奇抜な考えではありませんでした。それまでの人生経験から、人生を充実させるには良し悪しに関わらず刺激はなくてはならない因子だと思っていました。アメリカは雇用も流動的であるし、良ければもてなし、悪ければ切るといったわかりやすい社会構造になっています。新しい刺激を受け続けるという点では日本より確実に利があり、たとえ苦難があったとしてもより濃密に人生を謳歌できるのではないかと思い、渡米という決断に至りました。

 

実際に働く際にも全く違う景色が見たいと思っていたので、そういう観点からもアメリカの企業に飛び込むことは大変魅力的でした。特に老舗の日本企業に見られそうな予定調和型の評価ではなく、プロダクティビティに応じて報酬やインセンティブでしっかりと報いるアメリカの企業風土は、自分にとってはとてもモチベーションの上がる絶好の体制に写りました。

 

実際には今の企業の研究職ポジションを得る前にこちらの研究機関で1年半程度博士研究員として働いていました。その辺りの話や渡米前・渡米後の苦難、日本とアメリカの企業の実際の待遇の違いなど、また別の記事で書いていきたいと思います。