東京回想・消えた学校、私立学校編も終わった。

ここでちょっとまとめである。

消えた学校の多くが、1940年前後に創立しているのである。

大胆に推論してみた。

野口悠紀雄先生言うところの「1940年体制」の一環として、中等教育の社会全般への敷衍と言うことが行われたのではなかろうか。

社会全体が、生産性を向上させていくには、それまでの小学校教育だけでは、工場等で働く基礎学力を必要とする人材は育成できない。

そのため、旧制中学校、高等女学校卒業程度の知識と教養を持った人材の火急的かつ速やかな育成が必要となった。

それまでの学校だけでは求められる人数を教育できない。
それ故に、この時期に府立・私立ともに、一斉に中等教育を行う学校がつくられたのではなかろうか。

まず一つ目にその点が推察できるのである。

この項、別途続くのである。