大言壮語:再び二千万円。

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再び、二千万円の話である。

考えてみれば、定年後に年金だけでは賄えない金額がこれだけあるということ。
この金額が、定年退職直後に絶対必要というわけでも無さそうだ。

それに、いつまで生きられるのかもわからないのに、闇雲に現金の話ばかりされても、品がない。

死ぬ時に預金通帳に多額の現金があっても、なにも嬉しくない。
そう、近所のおじさんがそんな状態になって、いまわの際に嘆いていたことを思い出した。

お金は、ほしいほしいと憧れるくらいな方がいい。

なまじあると、余計な苦労をしそうである。

まあ、おっつかっつの人生もそれなりではあるのである。

そして、今日も節約しながら生きるのである。




今日のランチ彷徨である。

遅い時刻なので、どこでも空いている。
財布と相談し、餃子屋「吹けば飛ぶよな」店で、牛骨ラーメンにしてみた。

微かに仄かに、スープに牛の味がする大変に奥ゆかしいラーメンだったのである。

この勢いで、午後の仕事も乗り切るのである。

朝のバス:社会的弱者。

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朝、と言っても10時台のバスである。

この時間帯の乗客のほとんどは、高齢者や身体の不自由な人たち。

「社会的弱者」という言葉は、勝手な定義付けで嫌いである。

でもそんな言葉を思い出してしまう風景である。

すべての人が自由に移動できる社会、自由に生きられる社会が、結果として、幸福な社会と思うが、いかがなものだろうか。

バスは陽光の中をひた走り、筆者を職場へと誘いつつあるのである。

遅番の日、今から出勤。

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今日は遅番で11時半からの勤務。

 

ちょっと早いけれども、今から出かけるのである。

 

これから、途中駅の本屋で時間つぶしに立ち読みをして、出勤なのである。

 

ああ、そうだ。

「重役出勤」という言葉を思い出してしまった。

 

さあ、今日も楽しいことや興味深いことがたくさん待っているのである。

明るい気持ちで出勤なのである。

 

では、行ってきます。

 

トロリーバス102系統編、その11.大崎本町から北品川五丁目までである。


【ルート】
大崎本町 - 大崎広小路 - 五反田駅前 - 北品川五丁目。

 

【解説】
トロリーバスは、東急目蒲線のガードをくぐり、山手通りを南東に進む。

しばらく進んで、大崎広小路の交差点を左折。

五反田駅前で国鉄のガードをくぐり、坂を登って北品川五丁目に至る。

 

【分岐・合流】
特になし。

【都電等との並走】

特になし。

 

【コメント】

目蒲線のガードをくぐると、今の時代なら大崎郵便局前交差点での高速道路の下の道と西五反田一丁目交差点での第二京浜を渡る。

しかし、1950年代頃は、この日本の道路は、計画中または建設中。

 

大崎広小路までは、一本道である。

この交差点で左折し、今の五反田駅へ向かう。

新しい道路が開通するまでは、第二京浜は、駅の東口を通り、この道路に繋がっていたようだ。

 

五反田駅に停まった後、トロリーバスは、五反田に向かう坂道を上る。

このあたりは、戦後のある時期までは、ソニーの本拠地だった場所。

 

この通りも、「ソニー通り」と呼ばれていたそうだが、トロリーバスが通っていた頃は、どうだったのだろうか。

 

トロリーバスも消え、ソニーも、往年の勢いはなし。

時の流れとは、残酷なのである。

 

火曜日、今日は遅番。2019/06/18の話。

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私はサンダルニャーゴ。

一日一日を一生懸命生きる日常定型素浪人である。

 

今日は、遅番。

10時のバスに乗るので、それまでは家でのんびりしているのである。

 

ちなみに、仕事場は特定の曜日ではなく、毎日遅くまでやっている。

遅番の担当は、メンバーでローテーションするため、どの曜日とは決まっていないのである。

 

今日も負けずにめげずに、仕事をしてくるのである。

 

ニャーゴの未来は、明るいのである。

 

では、良い一日をお過ごしください。

 

 

今日の反省である。

 

日常の中で生きると、やることがルーティンワークになることが多い。

一種慣れることである。

それ自体は、効率性が高まることで良いことである。

 

ただ怠惰になってはいけない。

 

日常の中で生きていくとき、その部分は戒めるべきであろう。

 

さて、もう寝る時刻。

それでは皆さん、お休みなさい。

 

大言壮語:防犯ビデオ。

今回の交番襲撃事件の件である。

 

テレビニュースを見ていたら、犯人と思われる人物が歩いているシーンが、時系列で流されていた。

国内のいたるところに設置されている防犯ビデオの録画である。

 

これを辿って行けば、犯人がどのあたりにいるか、すぐに見当が付きそうだ。

犯人が捕まり、事件が解決したことは、良いことである。

 

ただ、恐ろしいこと。

一般市民自身も、常にこれら「映像の網」に、注視され続けているという事実である。

 

今回は、警察が犯罪捜査のために、この仕組みを特別に利用したことは、理解できる。

でも、やろうと思えば、一市民の行為は、24時間監視され続け得る時代に来てしまったのだ。

 

この内容は、ほぼ筒井康隆先生の半世紀前のSFである。

ただ、現実は、文学性もなく、平板にして、ただただ陳腐で、怠惰な日常の延長上に存在する白っちゃけた事実の羅列である。

本当に面白くも何ともない、まとまりのない映像の断片である。

 

本当に筒井先生の言葉にある「実際はこんなに面白くはありません」である。

 

そして、一般市民は、突然、世界中にその姿を晒されても、抗する術がないのである。

 

犯人が捕まっことは良いことである。

ただ、自分たちもいつか、かの人物のにその姿を晒される可能性があるのである。

恐ろしい世の中なのである。

(まあ、このように匿名のつもりでブログを書いていることも、自らを晒すことを助長をしているのかも知れないという自嘲でもある。)

 

後は、運よく人前に曝されないことを祈るばかりなのである。