今、テレビ朝日でパリ・オリンピックの開会式を放映している。

残念なことに、雨になって舞ったようだが、凄い。

パリのセーヌ川を選手団が、遊覧船で「入場行進」している。

日本で言えば、隅田川を遊覧船や水上バスで進むようなものである。
歌舞伎で言ったら、「船乗り込み」である。

これは嬉しい。
川のある町に住んでいるので、とっても羨ましい。
自分たちの街の歴史と伝統をこんな形で世界に伝えられるなんて、ステキである。

パリ植物園あたりから、サンルイ島とかシテ島とかルーブル美術館とかオルセー美術館アンヴァリッドとかを通って、エッフェル塔まで約6Kmの「船乗り込み」、ご本尊、ご神体の選手団を乗せるのだから「船渡御」である(今、一生懸命地図を見て調べた)。

これだけでも、十二分にバリ見物である。

ところで、200近い選手団を乗せる遊覧船はどうやって調達したのか。
セーヌ川には、支川とかなさそうだ。
裏を回って使いまわしとかできなそう。

ちょっとしはらく楽しむのである。
今回の夢と希望、適当、良い加減に生きたい、である。

実は、適当も良い加減も、もともとは「適正な」「ちょうど良い」という意味合いである。

いつの間にか、全く正反対の意味になってしまっている。
これ、思うに、常に最高速度、最大出力を出して生きるように、社会が個人に強いてきたゆえではないか。

もう適正な規模、適正な出力で、この先の人生を過ごす方が、良いと思えるのである。

さまざまな無理は、結果的にはさまざまな無駄を発生させる。
その挙句、体調不良で、動けなくなったら、馬鹿馬鹿しい。

まずは、良い加減。
そして、適当。

常に言葉にして、この先を生きていきたいのである。
還暦雑言+4である。

もうこの年齢になった。
体調もすぐに回復はしないのも、理解できている。

なので、上手くいかなかったり、思った通りにならないことは、高齢を理由にしてもいいと思っているのである。

今の風邪の苦しい状況も「昔はもっと早く治った」で諦めがつく。
「何でダメなんだ。何でできないんだ」と自分を責めずに済むのである。

生真面目に生き過ぎると、身動きが取れなくなるのである。