東京回想、東京都内の消えた学校。
都区内の私立高等学校の続き。

機械的に区の順番で進めていく。
次は文京区の消えた高校である。
この区では何校かある。
最初は、錦秋高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
錦秋高等学校。

【統合時の所在地】
本郷区真砂町(現文京区本郷1-35-28)。

【消滅年】
1974年。

【消滅事由】
不明。

【統合後の後継校】
不詳。

【前身学校等】
以下の歴史をたどっている(錦秋学園HP、その他秋間為子に関する検索結果より)。

1909年 錦秋女塾を開設。
1912年 錦秋実科女学校に改称。
時期不詳 錦秋高等女学校に改称。
時期不詳 錦秋女学院に改称。
1948年 錦秋学園高等学校に改称。
1972年 生徒募集をせず。
1974年 土地区画整理により休校(事実上廃校か?)。

【跡地利用】
メゾンドール本郷。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
私立高等学校の続きである。
ここからは文京区である。

この区には消えた学校は複数ある。
最初は、錦秋学園高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

さて、このリストに学校名はあった。
書いてあることは以下のこと。
---以下引用---
「錦秋高等学校(区画整理事業の影響で1974年休校)」
「[注釈]経営していた学校法人錦秋学園は現在は錦秋幼稚園(東京都多摩市)を経営。
 学校法人の事務所は現在でも錦秋高校の旧校地に建てられたビルに入居しており、ビルの前には本校が所在していたことを示す記念碑が設置されている。」
---以上引用終わり---

錦秋幼稚園さんのサイトを参照。
---以下引用---
「学校法人錦秋学園は1909年(明治42年)秋間為子により東京都文京区に創立され、中学・高等教育に携わってまいりました」
---以上引用終わり---

今度は秋間為子さんで検索。
「コトバンク」のサイトで、この方の経歴が載っていた。
引用させていただく。
---以下引用---
秋間為子 あきま-ためこ
1861-1933 明治-大正時代の教育者。
文久元年11月14日生まれ。
明治20年帝国大学医科大学の第1回看護婦見習生に応募。
翌年卒業し,23年東京本郷に看護学校をひらく。
34年石坂昌孝の援助をえて錦秋女塾(のちの錦秋学園)を開設,女子教育につくした。
昭和8年4月9日死去。
73歳。
武蔵(むさし)多摩郡(東京都)出身。
---以上引用終わり---

その他あちこちのサイトを見て回り、以下のことが分かった。
戦前に実科女学校から高等女学校になり、戦後は学制改革で高等学校になったと想定される。

所在地を見ると、春日通りの壱岐坂の南側。
地下鉄丸ノ内線が地上に出るところの北側にあった学校のようだ。

ここからは、類推。
この春日通りが1970年代初めに拡幅されることとなり、錦秋学園高等学校は、1972年に生徒募集を休止。
1974年に休校となったようだ。

ネットで確認して分かったことは、ここまで。

もう50年前になくなった学校になるか。
卒業生の方たちは、今どんな思いでいるのだろうか。

自分の卒業した学校がなくなるというのは、やはり寂しいものだと思う。

諸般の事情があり、なくなったものと思うが、このサイトに書かせていただくことにしたのである。