今日の良きことである。

保育園児と小学生というこの国の未来が見られたのである。
午前は保育園児の更新、午後はふざけながら歩く小学生たち。

この子たちは、この国の未来を構成していく大人にこれからなって行くのである。

そう思うと、少し気持ちが明るくなる。

通勤電車に乗っていると、見ることができる子どもたちは、都心に向かう私立小学生たち。
それも、一人ずつである。

地域の集団でまとまった子どもたちを見ると、形の決まらない未来があることを、実感できるのである。

この子たちが社会の中枢で働くのは、今世紀後半。
中には、22世紀を見られる子もいるだろう。
その姿を、飛車はたぶん見届けることはできない。

でも、筆者たちも明治生まれの人たちに見守られていたように、この子たちを見続けていければと思うのである。