袋小路編。
見つかった順に書くので、順不同。
次は墨田区である。
どこへ飛ぶかは、見つかり次第である。

今回は、墨堤に向かっていく行き止り道路である。

【所在地】
墨田区2と5の境界。

【名称】
桜橋通り。

【当初の目的・機能】
関東大震災後に区画整理された道路。

【袋小路となった理由】
-。

【距離】
約75m。

【幅】
約14m。

【現在残された機能】
道路沿いの家々へのアクセス道路。

【コメント】
袋小路編、次は、墨田区にある行き止り道路である。

場所は、墨田区向島2と向島5の境界の道路。
わかりやすく言えば、隅田川にX字状にかかる桜橋の東詰めの袂である。

このあたり、関東大震災後に旧・本所区の範囲まで区画整理された。
旧向島区、つまり隅田町、寺島町、吾嬬町は、東京市外だったのでそのまま江戸時代の農道が残ってしまったのである。

区画整理された道路は斜め45度に曲がった格子状。
その中の南東から北西に通る幅14mほど(昔なら8間)の道路が押上一丁目から隅田川の土手下まで約920m作られた。

後に桜橋通りと名付けられるこの通り。
国道6号線を越えた見番通りから先は、ほぼ行き止り道路である。
突き当りには、隅田川のスーパー堤防。
直接、墨堤通りの二車線道路に出入りはできない。
厳密に言えば、袋小路ではない。
突き当ってから左折し堤防沿いに進む道はある。
が、180mほど進むと、また元の見番通りに戻るしかない道である。
結局どこへも抜けられないので袋小路である。

見番通りから75m、幅は14mほど。

この道の現在の機能は、75mの間にある左右の建物にアクセスする機能があるばかり。

さて、この行き止り道路、いつだれが何の目的で、建設したのか。
何でこの行き止り道路があるのか、調べてみた。

しかしながら、一切資料はない。
まず、この道路、現在の都市計画道路(放射何号、補助何号と名付けられた道)には含まれていない。

現在、この道路の先は、人道橋の桜橋となり、自動車は渡れない。
また橋詰部分は、高規格化されたスーパー堤防となり、墨堤通りは堤防下の地下道を進む形状になっている。

念のため、桜橋とスーパー堤防ができる以前の古い航空写真を確認した。
1963年の航空写真では、墨堤通りとこの行き止り道路に頻繁に自動車が行き来している痕跡は見えず。
たぶん、当時でも直接は入れなかったのではなかろうか。

何でこんな袋小路が出来上がったか、勝手に類推してみた。

このあたりで隅田川にかかる橋は、言問橋から白髭橋までで間は約1.8Km。
この間に架ける橋の計画が当初あったのではないかと類推するのである。

この押上から続く8間の道路は、向こう側の今戸あたりに繋がる橋の上り口になる計画だったのではと考えるのである。
この大正時代の新道規格の道幅は、隅田川で行き止りにするためだったら勿体ない規格である。

しかしながら、震災復興計画の二番手、三番手と想定される新しい橋は、大恐慌のあおりで着手されず。
そのまま、半世紀以上の時が流れ、人道橋である桜橋が出来上がったと考えた方がいいか。

まあ、押上から向島を抜けて、墨田川を渡り今戸へ抜けるルートがあっても、良かった気がするのである。