東京回想、文学編。

隅田川の流域にある文学歴史美術系のネタを拾いながらほぼ2Kmずつ進んでいくという記述である。

隅田川左岸(東岸)の第8回目。
白髭橋先あたりから下って行くのである。

箇条書きで短く書く。

・自動車教習所跡。
実はこの手前でもあったのだが、左岸には、かつて自動車教習所が3箇所ほどあった。
今の堀切橋あたり、今の水神大橋あたり、それから都営第2寺島アパートあたりにそれぞれあったのである。
実は、河川敷と自動車教習所は相性がいい。
河川敷は、広い土地があり、なおかつ永久構築物が作れない場所である。
その点、教習所は広い場所を必要とし、コストは自動車と人件費、大水でも自動車さえ移動すれば被害がほぼない施設である。
ちょうど平仄が合い、今でも河川敷に自動車教習所がある場所は多い。
隅田川では、1960年代に絶滅である。

・大学艇庫。
白髭神社のあるあたり墨堤通りの川側が、かつて大学のボート部の艇庫がたくさんあった場所。
まだカミソリ堤防がない時代には、川のそばにある艇庫から直接スロープを経由して、ボートを川に入れたのである。

・蔵春閣 (大倉別邸)。
今のサングランデ桜橋や共栄倉庫のあるあたりに、1879年頃に大倉財閥の別邸である蔵春閣ができたそうだ。
震災にも戦災にも焼け残り、戦後はアメリカ軍の特殊慰安施設協会 (RAA)としても使われた場所。
その後、船橋ヘルスセンターに移築され、中華料理店となり、現在は新潟県新発田市に移築されているのだそうだ。

・白髭神社・百花園。
各自調べられたし。

・蝸牛庵跡(二か所)。
幸田露伴の住んでいた家が、このあたりに2カ所ある。
一カ所は、墨堤通りの向島高速入口交差点(何と野暮な交差点名だ)から、斜め北東に細い道を降りたところ。
雨宮酒店が大家さんで、その裏の駐車場になっている場所が、蝸牛庵の2カ所目だか3か所目。
この建物、戦災に焼けなかったため、明治村に移築されているのである。
もうこの酒屋さんも駐車場も全部引き剥がされ、カタカナ名のマンションになっている模様。
ストリートビューで過日の風景を確認しよう。
もう一カ所は、酒屋さんの前の道を約130mほど北東に進んだところ。
こちらも最初か2カ所目のところ。
今は露伴児童遊園という公園になっているのですぐわかるのである。

・言問団子、長命寺の桜餅。
名物の言問団子と長命時の桜餅。
両店とも、高速向島入口そばの墨堤通りに相対して営業している。
名物なので、一度は食べてみるとよろしいのである。

・黄檗宗弘福寺。
墨堤通りから一本陸側に見番通りという道路がある。
神社仏閣が並んでおり、長命寺の次が弘福寺。
黄檗宗の寺なので、ちょっと山門が中華風である。
森鴎外の墓がこのお寺にあったのだが、関東大震災で場所が移転され三鷹の禅林寺に行ってしまった。

・墨堤通りと隅田公園(墨田区側)。
墨堤通りは、首都高速向島入口あたりから、ほぼ堤防の下を通る。
堤防の上には、今でもきれいな桜が植えられている。
東武電車の高架の北側は隅田公園(墨田区側)がきれいに整備された。
東武鉄橋下にできたすみだリバーウォークを使って、浅草からスカイツリーまで回遊できる観光地になっている。

・三囲神社。
各自調べられたし。
ライオンの像があります。

・牛嶋神社。
各自調べられたし。
牛の像があります。

このあたりでだいたい2Km。
また次回である。