東京回想、文学編。

隅田川の流域にある文学歴史美術系のネタを拾いながらほぼ2Kmずつ進んでいくという記述である。

隅田川左岸(東岸)の第7回目。
実はこのあたり、一階で済ますのは勿体ないくらいいろいろなものがあるので、拾遺である。
千住汐入大橋手前あたりから下って行くのである。

箇条書きで短く書く。

・向島の別荘群。
江戸時代から対象くらいにかけて、このあたりは豪商等の別荘がたくさんあったのだそうだ。
有名なところを書いてみる(LIFULL HOME'S PRESS、三井住友トラスト不動産等のサイトを参照しました)。
1.岐雲園。
白髭橋東詰から東北東270mのところ。
幕末に、外交官の岩瀬忠震(ただなり)が隠居後住んだのが岐雲園という屋敷。
岩瀬の死後、幸田露伴の父が住み、露伴も1893年に住んだところ。
大正時代に三共製薬と住友ベークライトの工場となった。
現在はトミンハイムになっている。

2.小松島遊園。
白髭橋の東詰南側。
1878年には小野義真の別荘、八州園ができた。
その後、奥州・松島を模した改築を行い、「小松島遊園地」とも称し、84年に一般に開放された。
その後、ビール工場予定地や小穴製作所の工場となり、現在はリバーサイド隅田になっている。

白髭橋あたりまでで大きなところでは、こんなくらいか。

落語「青菜」に出てくるご隠居さんの住む別荘もこのあたりにありそうである。

・日活向島撮影所。
隅田川の東詰北側。
1913年に日活の向島撮影所がこの地に完成する。
もともとは幻想文学作家・夢野久作の父である政治運動家、実業家であった杉山茂丸の別荘だったそうな。
撮影所としては、1913年から関東大震災後の1927年まで稼働。
その後は京都の太秦に移ったとのこと。

・京成電鉄白髭線。
鉄道ファンならおなじみ、京成電鉄の白髭線が白髭橋の袂手前まで来ていた。
曳舟駅と八広駅の間にあった向島駅から大きく弧を描きながら、今の白髭橋病院のあたりまで着ていた鉄道があった。
調べたら、1.4Km。
1928年から1936年まで8年間だけ存在していた鉄道である。
滝田ゆうの漫画「寺島町奇譚」の中にも廃線跡が描かれている。

まだまだいろいろあるのだが、取り敢えずここまで。
涙を呑んで先に進むのである。