東京回想、文学編。

隅田川の流域にある文学歴史美術系のネタを拾いながらほぼ2Kmずつ進んでいくという記述である。

隅田川左岸(東岸)の第7回目。
千住汐入大橋手前あたりから下って行くのである。

箇条書きで短く書く。

・東京未来大学(足立区立荒川二中)。
千住汐入大橋からすこし奥の方に行くと、東京未来大学がある。
この敷地、もともとは足立区立荒川二中。
かのテレビドラマ「3年B組金八先生」のロケ地にもよく使われていた場所。
今、航空写真を見ると、元の校庭に、あらま、大学の校舎が新たに作られて、ますますせせこましくなっている。
ちょっと侘しくなるのである。

・入り江跡。
この東京未来大学や東武堀切駅に入る袋小路の道、行き止りにしては、かなりしっかりした二車線である。
実は、この道が昔の堤通り。
このまま真っ直ぐ行った先の旧綾瀬川のところに、昔は橋が架かっていたようだ。
そして、その川側は全てかつての入り江(と言っていいのか)。
実は、この場所、五所平之助監督の映画「煙突の見える場所」で、ロケ地として使われている。
まだ戦後すぐの混沌とした時代の心象風景として、ちょうどぴったりの場所である。

・また急カーブ、そして旧綾瀬川。
隅田川は、東からまた大きく右にカーブし、北西に向かう。
おおよそその先端部分で合流するか我が旧綾瀬川。
江戸時代以前には、綾瀬川はこちらに流れ込んでいたようだ。
もっと古代には、葛飾区と足立区の間を流れる古隅田川がこの川の上流だったとのこと。
古代の流れを想像するのも楽しいのである。

・防災拠点。
旧綾瀬川から隅田川左岸沿いに高速六号線が続く。
かつての墨堤通りとの間には、おおよそ250mほどのかつての河川敷が続く。
河川敷とはいっても、もう江戸時代には、豪商の別荘ができ上っている一帯である。
明治の終わりには、工場がたくさん作られている。
昭和半ば以降工場が移転し、その跡地に、震災等が発生した際の住民の避難所として防災拠点が作られた。
向島消防署墨田出張所あたりから高さ40mの防災拠点(正確には墨田東アパート)が約1.15Km続く。
震災で墨堤通り南側が火の海になっても、防災拠点内側に逃げ込めば、助かるという設計である。
震災・戦災から得た知恵が作った施設である。

・木母寺。
この防災拠点の内側にある寺が木母寺。
「梅若伝説」や能「隅田川」に出てくる梅若丸の塚がこのお寺に再現されているのである。

このあたりでだいたい2Kmくらい。

この先は、また次回である。