還暦雑言+4である。

高齢になって、考えることがある。

子どもの頃からの習慣の多くは、これから先に来る未来での生活のために必要な準備やその手段のために行っていること。

実は、もうやっても意味のないことが、かなり多いのである。

本当なら、もうその準備した結果を十二分に利用していたり、手段として使い切っている。
なのに、今ももう来ない目的のための準備をし続けていることが、往々にしてある。

大学の時だったか。
友人の母は、「これからまだ大きくなるから」と言って、少し大きめの服を買わされていたそうだ。
さすがに本人も呆れていた。

でも、そんな呆れる行動を、今も自分の中でし続けている可能性がある。

必要と思うのなら続ければいいし、おかしいと思ったらやめればいい。
少なくとも、もう強いてくる人たちは、いないのである。

手段や準備を目的としない。
この先、精神の断捨離も必要になりそうだ。