また袋小路編。
見つかった順に書くので、順不同。
次は港区である。
どこへ飛ぶかは、見つかり次第である。

今回は、区画整理事業が放棄されてできた行き止り道路である。

【所在地】
港区六本木3。

【名称】
六本木三丁目児童遊園。

【当初の目的・機能】
鳥居坂から六本木通りにほぼ南北に通る道路。

【袋小路となった理由】
都市計画が途中で中断・放棄されたため。

【距離】
約50m。

【幅】
約15m。

【現在残された機能】
道路沿いの家々へのアクセス道路及び六本木三丁目児童遊園。

【コメント】
袋小路編、次は、港区にある行き止り道路である。
この道は、一応左右には抜けられるが、右は行止り。
左は細い一方通行路になるばかりで、本来のこの道路の規格には合わない接続であり、広義の袋小路である。

場所は、港区六本木3。
東西に走る外苑東通りの六本木五丁目交差点から北に入る道路である。
南側は、鳥居坂から麻布十番に繋がる道である。

この北に向かう道路、幅15mの十分に往復一車線ずつ取れる道路である。
しかし、50mほど進むと、道路は中断。
その先には、六本木三丁目児童遊園という名称の子ども向けの公園がある。

この公園、ほぼこの道路幅と同じで、北に40mほど続く。
その後は、細い道が30mほど続き、その先は幅10mほどの道路が北に140mほど伸びて、六本木通りまで繋がっている。

どう考えても、もともと繋がる計画で作られていて、そのままになっている印象である。

東京都の都市計画道路図を見てみた。
この道路は、都市計画上の計画道路ではない。

公園の手前に左右への道はあるが、前述の通り右は行止り、左は細い一方通行入口。
この幅の広い50m道路が作られた理由にはならない。

念のため、古い航空写真を調べた。
1948年の航空写真では、この道路は存在せず。
1963年の航空写真には、写っていた。

この道路の現在の機能は、道路左右の家々に入る程度。

さて、この行き止り道路、いつだれが何の目的で、建設したのか。
何でこの行き止り道路があるのか、調べてみた。

ネットで確認した。
「六本木三丁目児童遊園」で引いてみると、興味深い記述があった。

「介護の未来ラボ」というサイトの「今日は何の日?」というページの以下の記述である。
「2月21日=六本木3丁目に待望の児童遊園がオープン(1968年) / 雑学ネタ帳」

1968年2月21日が、六本木三丁目児童遊園の開園日なのだそうだ。
この公園が、先ほどの道路の延長線上にある公園である。

以下引用。
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広さ288平方メートルのこの敷地は、もともと区画整理用の道路予定地でしたが、計画が変更されたため港区土木課の材料置き場に利用されていました。
この地域は子どもたちが安心して遊べる場所が少ないこともあり、「遊園地として開放してほしい」という保護者たちからの強い要望が殺到。
まずは67(昭和42)年3月に敷地を金網で仕切ったうえで、空き地として子どもたちに開放していました。
この試用期間を経て、今度は工費110万円をかけて正式な児童遊園に格上げされたうえで再オープンしたのです。
新たにすべり台、砂場、安全ブランコ、ジャングルジムが設置され、周りには緑の植え込み、3基の公園灯もつけられ、夜間でも明るい公園へと生まれ変わりました。
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以上引用終わり。

つまり、この記述によると、1968年頃には、この公園は区画整理用の道路予定地だったものが計画変更により港区土木課の材料置き場として使用されていたようである。

つまり、都市計画ではなく、区画整理が途中で計画変更となり、そのまま放棄されたということになるか。

そうか。
長年の疑問解決。
何で、六本木の真ん真ん中に、あんな行き止り道路があるのか、やっと理解できたのである。
40年ほど前に六本木に行った時に感じた東京の謎が、今回、解決できたのである。

ところで、もし、この「区画整理用の道路」が開通していたらどうだっただろう。
たぶん、類推するに、麻布十番から鳥居坂を上り、外苑東通りを越えて、真っ直ぐ高速道路の下の六本木通りまで一直線に抜ける道路ができていたのである。

これはまた、ちょっとした繁華街になっていた気もするのである。

まあ歴史のいたずらのような形で、幻の六本木の繁華街になり損ねた袋小路が、50mほど存在し続けていることになるのである。