東京回想、文学編。

隅田川の流域にある文学歴史美術系のネタを拾いながらほぼ2Kmずつ進んでいくという記述である。

今回は隅田川右岸の2回目。
佃大橋から先へ進む。

箇条書きで短く書く。

・湊三丁目、地上げ後のビル群。
佃大橋から先に行くと、このあたりは湊三丁目。
平屋建ての家々があり、確か印刷業を生業とするところが多かった。
このあたりは鉄砲洲神社の氏子さんだったのか。
東15のバスに乗っていると、懐かしい東京の街があったのである。
しかし、それも40年ほど前のこと。
呆れたバブルの狂乱で、このあたり一帯が地上げされてしまった。
地上げされてしまった家は、取り壊され虫食い状態になる。
その空き地には、名目上駐車場とするため、出来の悪いモビルスーツの残骸のような武骨な二段式駐車機が置かれていた。
錆びた鉄骨が悲しかった。
結局、地上げ業者は倒産して、虫食い状態の土地と家屋が残された。
後で、さまざまな調整の後、現在の高層ビルが建っているのである。
このあたりの堤防沿いの道、テレビドラマ「女王の教室」でロケされていたか。

・亀島川、残された日本橋川の支流。
湊の隣に亀島川が流れている。
上流は日本橋川に繋がっている。
よくぞ埋められずに残ったものだと思う中小河川である。
この内側の堤防沿いの空き地に映画「夜逃げ屋本舗2」の風間杜夫が住む家が設置されていた。

・南高橋、昔の両国橋。
ちょっと亀島川の中に入る。
日本橋水門の内側に、南高橋という橋がある。
1932年(昭和7年)に竣工した橋なのである。
実は、もともとは、1904年(明治37年)に架けられた両国橋の真ん中部分を使った橋なのだそうだ。
震災での損傷の少なかった部分を利用し、幅は1/3、高さも縮めて移設されたのだそうである。
明治の鉄橋が残っていること自体、大変に珍しいというるのである。

・新川のマンション群。
南高橋がかかる向こう側は新川。
40年ほど前までは、現在マンションが建っている堤防沿いの一帯には、各会社の大型倉庫が建っていた。
三菱とか住友等の持ち物で、今のマンションもそれらの関連会社が作ったはずである。

・中央大橋。
新川には、東京駅八重洲口前からまっすぐ伸びた先になる中央大橋が架けられている。
1994年の架橋である。
もう、歴史も伝統も全部関係ない名称であり、ここまで来ると清々しくなる。
子の堤防沿いも見栄えが良いので、さまざまなロケに使われている。

・永代橋。
新川の先には、永代橋がかかっている。
江戸時代から掛けられている橋で、落語の題名にもなっている。
3年に一度行われる例大祭には、約50基にも及ぶ各町内のお神輿がこの橋の上を通る。
大変に激しく揺れるのである。

・日本橋川。
永代橋の上流に、日本橋川が繋がっている。
この河口部約500mだけが高速道路が覆いかぶさっていない。
これだけでも良しとせねばならぬか。

・中洲。
日本橋川の向こう側が中洲。
現在の首都高速が通る場所はかつて箱崎川が流れており、実質的に中洲だったのである。

・隅田川大橋。
中洲にかかっている橋が隅田川大橋である。
竣工は1979年。
首都高速9号線と一体化した橋のである。
こちらも、無味乾燥な歴史的背景とはかかわりのない名称である。

・清洲橋。
隅田川大橋の上流が清洲橋。
1928年竣工。
ドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋の大吊橋をモデルにしている流麗な橋である。

と、このあたりで次の2Kmまで来たのである。
何だか、文学歴史芸術とはかかわりがあまりないことばかりだが、許されたし。

続きはまた次回である。