東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
葛飾区の消えた高校の続きである。
次は都立本所工業高等学校(全日制課程)である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立本所工業高等学校(全日制課程)。

【統合時の所在地】
南水元四丁目21番1号(現・都立葛飾総合高等学校・本所工科高等学校(定時制))。

【消滅年】
2006年。

【消滅事由】
都立葛飾総合高等学校に改編されるため。

【統合後の後継校】
東京都立葛飾総合高等学校。

【前身学校等】
以下の歴史をたどっている(wiki等より)。

前身校1.
1935年 東京市立本所区業平工業学校として開校。
1939年 東京市立本所工業学校と改称。
1943年 都政施行のため、東京都立本所工業学校と改称。
1944年 柳元国民学校跡地(1943年廃校)に移転。

前身校2.
1930年 東京市立深川工業実科学校設立。
1931年 東京市立深川工業学校と改称。
1943年 都政施行のため、東京都立深川工業学校と改称。

統合後:
1946年 東京都立本所工業学校が東京都立深川工業学校を合併。
1948年 学制改革のため、東京都立本所工業新制高等学校と改称。
1950年 東京都立本所工業高等学校と改称。
1963年 水元小合街1514(現在地)に移転
2006年 都立葛飾総合高等学校に改編されるため全日制閉課。

【跡地利用】
都立葛飾総合高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
葛飾区の続きである。
次は、都立本所工業高等学校(全日)である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この学校は、Wikiに記述があった。
後継校の正式サイトには、一言程度しか書かれていない。
図書館にある「都立学校沿革」という本の記述を最小して進める。

この学校は、二つの学校を前身校としている。

まず一つ目。
東京市立本所区業平工業学校が1935年(昭和10年)に開校している。場所は不明。
そして、1939年(昭和14年)に、東京市立本所工業学校と改称。
都政施行のため、1943年(昭和18年)に、東京都立本所工業学校と改称。
それから、1944年(昭和19年)に柳元国民学校跡地(1943年廃校、本所区横川橋4-1)に移転。
この場所、本所工業が1963年に移転した後は、深川商業が入っている。
その他の学校もいくつか移転時等に入ったりする場所である。
今は、本所警察署である。

そして二つ目。
東京市立深川工業実科学校が1930年(昭和5年)に設立。
翌1931年(昭和6年)に、東京市立深川工業学校と改称。
都政施行のため、1943年(昭和18年)に、東京都立深川工業学校と改称。

つまり、旧市立の都立工業学校が隅田川の向こう側に二校あったことになる。

そして、この二校は、戦後すぐの1946年に、統合。
都立本所工業学校が存続校である。

後の流れは、一規範的な都立高校の沿革と同様。
1948年に学制改革のため、東京都立本所工業新制高等学校と改称。
1950年に、東京都立本所工業高等学校と改称されている(「新制」が取れている)。

そして、この学校は1963年に、墨田区横川から葛飾区の水元に移転である。
旧市街から、ネギ畑ばかりの鄙に移動なのである。

これで、なぜ水元にある高校なのに、「本所」と冠されているかという疑問が解消された。

この後、約半世紀近く、水元の地で工業を学ぶ生徒たちを輩出していったのである。

この学校も、2000年代の都立高校「改革」の影響を受けることとなった。
2006年に、全日制課程が閉課程になり、全日制の総合学科高校の都立葛飾総合高校に改編されている。

ちなみに、定時制はそのまま定時制課程単独校として「本所工科高等学校」として存続しているのである。
つまり、この学校は、昼間は葛飾総合高校、定時制は本所工科高校になるのである。

場所の位置を確認する。
JR金町駅から北西に約900mほどのところ。
かつての三菱化学、今の東京理科大学葛飾キャンパスの北側である。

そうか、葛飾区内で、距離的には一番大学に近い高校ということになるか。

これから先も、この地で有為な人材を輩出し続けて行ってほしいのである。