東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
ここからは板橋区の消えた高校である。
最初は都立北野高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立北野高等学校。

【統合時の所在地】
板橋区徳丸二丁目17番1号(現・都立板橋有徳高等学校)。

【消滅年】
2006年。

【消滅事由】
全日制単位制普通科の都立板橋有徳高校に発展的に改編されたため。

【統合後の後継校】
都立板橋有徳高等学校。

【前身学校等】
以下の歴史がある。

1939年 東京府立第十二高等女学校として、赤坂区青山北町に創立。
1940年 板橋区徳丸102番に新校舎設置が決まる。
1941年 東京府立北野高等女学校と改称。新校に移転し授業開始。
1943年 都政実施のため、東京都立北野高等女学校と改称。
1948年 学制改革のため、東京都立北野新制高等学校と改称。
1950年 東京都立北野高等学校と改称。
2006年 東京都立志村高校との統廃合により閉校。

【跡地利用】
東京都立板橋有徳高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
板橋区にあった消えた学校である。
最初は、都立北野高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

Wikiに記載されたこの高校に関するページ及び後継校の沿革等を参照した。

この学校は、1939年に第十二高等女学校として青山で設立されている。
戦前に作られた10番台の高等女学校の一つのようだ。
その後、1941年に東京府立北野高等女学校と改称し、板橋区徳丸102番に移転している。

後は、都立高校の一般的な歴史を辿る。
1943年に都政施行のため、都立北野高等女学校に改称。
1948年に学制改革のため、都立北野新制高等学校に改称。
1950年に都立北野高等学校に改称。

そして、約半世紀以上、この徳丸の地で高校生たちを育ててきたということになる。

さまざまな状況を経て、2006年。
2000年代の「都立高校改革」に巻き込まれることになる。
2006年に都立志村高等学校と統合し、都立全日制単位制普通科の都立板橋有徳高校に発展的に改編されて閉校している。

場所を確認する。
東武東上線東武練馬駅から北に360mのところ。

約60年でその役割を発展的に改編し、後継校にバトンタッチである。
そして、新しくできた高校で学ぶ青年たちの未来が、前途洋洋であることを心から願うのである。