東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
北区の消えた高校の続きである。
次は都立城北高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立城北高等学校。

【統合時の所在地】
北区赤羽北三丁目5番22号(現・都立桐ヶ丘高等学校)。

【消滅年】
1999年。

【消滅事由】
昼夜間定時制(3部制)総合学科の都立桐ヶ丘高校に発展的に改編されたため。

【統合後の後継校】
都立桐ヶ丘高等学校。

【前身学校等】
以下の歴史がある。

1940年 東京府立第一高等女学校内(浅草区七軒町41番地)に東京府立第14高等女学校創立。
1942年 校名を東京府立城北高等女学校と改称。
1942年 新校舎(王子区袋町1丁目875番地)に移転。
1943年 都制実施に伴い校名を東京都立城北高等女学校と改称。
1948年 学制改革により東京都立城北新制高等学校と改称。
1950年 東京都立城北高等学校と改称。
1999年 廃校。

【跡地利用】
東京都立桐ケ丘高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
北区にあった消えた学校の続きである。
次は、都立城北高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

Wikiには当該高校の記載されたページはなし。
後継校の沿革にも記載なし。
卒業生のクラス会のホームページがあり、沿革はこちらを参照した。
(参考にさせて頂きました。ありがとうございます。)

この学校は、1940年に府立第14高等女学校として、浅草の府立第一高女内に設立されている。
1940年代前半に一斉に作られた10番台の府立中学・高女のうちの一校である。
1942年に東京府立城北高等女学校と改称の後は、普通の都立高校と同様の変遷をたどる。
1943年に都政実施で都立城北高等女学校、1948年に学制改革により東京都立城北新制高等学校、1950年に東京都立城北高等学校と改称である。

そして、約半世紀近く、この赤羽の地で高校生たちを育ててきていた。

さまざまな状況を経て、1999年。
2000年代の「都立高校改革」より少し早いが、大きく変化している。
1999年に、「新しいタイプの実験高校のうち、東京都立城北高等学校跡地に開校した。既存の夜間定時制高校を統合集約して新設した三部制(昼夜間定時制)単位制高校」に改編。
同校全日制・定時制課程と北園高校・赤羽商業高校・池袋商業高校の各定時制課程と統合。
城北高校跡地に、昼夜間定時制(3部制)総合学科の東京都立桐ケ丘高等学校が設置されて閉校である。

場所を確認する。
赤羽駅からほぼ西へ1.2Km。
今なら赤羽の団地の真ん中である。
できた頃は、周りは全て農地や雑木林だったのではなかろうか。

この地の戦中戦後を見届けながら、約60年間、優秀な人材を育て続けたこの高校も、その役割を発展的に改編し、後継校にバトンタッチである。
そして、新しくできた高校で学ぶ青年たちの未来が、前途洋洋であることを心から願うのである。