東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
世田谷区の消えた高校の続きである。
次は都立砧工業高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立砧工業高等学校。

【統合時の所在地】
世田谷区岡本2丁目9-1(現・世田谷総合高等学校)。

【消滅年】
2008年。

【消滅事由】
他高に統合のため。

【統合後の後継校】
都立世田谷総合高等学校。

【前身学校等】
1962年 開校。
2008年 東京都立玉川高等学校と統合し、東京都立世田谷総合高等学校に再編される。

【跡地利用】
東京都立世田谷総合高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
世田谷区の続きである。
次は都立砧工業高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この高校は、Wikiに記述があった。
また、後継校等の公式サイト等を参照した。

この工業高校も、1960年代に大量に作られた工業高校・商業高校の一つ。

1962年に開校している。

ネットの情報を見ても、特に記述はない。

そして、この学校も2000年代の「都立高校改革」で大きく変化していったようだ。
2008年に、東京都立玉川高等学校と統合し、東京都立世田谷総合高等学校に再編されている。

跡地には、後継校となった世田谷総合高等学校が入っている。

場所を確認する。
東急線二子玉川駅から北西に約1Kmのところ。

北の国分寺崖線には、静嘉堂文庫や岡本民家園があり、世田谷散策にはちょうど良い場所。
ついこの間(高齢者の「ついこの間」は信用できないので注意)までは、周囲は畑だったところ。
撮影所も近く、このあたりで多くのドラマが取られているのではなかったか。

この工業高校も、この周辺の工業高校と同様に本来の目的を達成したのは、約10年強くらいになるか。
時代の要請が変わったことで、その学校の形もそれから25年くらいで変化したことになるようだ。

この地にできた新しい高校で学ぶ青年たちの未来が、前途洋洋であることを心から願うのである。