く東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
大田区の消えた高校の続きである。
次は都立大森東高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立大森東高等学校。

【統合時の所在地】
大田区大森東一丁目33番1号(現・都立美原高等学校)。

【消滅年】
2003年。

【消滅事由】
他高に統合のため。

【統合後の後継校】
都立美原高等学校。

【前身学校等】
1981年 創設(類推)。
2005年3月、東京都立大森東高等学校、東京都立南高等学校が統合により都立美原高等学校となり廃校。

【跡地利用】
都立美原高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
大田区の続きである。
次は、都立大森東高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

で、この高校のことを調べようとして、Wikiでこの学校名で検索した。
ない。
ないない。
出てこない。

何でも載っているウィキペディアにこの高校の記述も、一切なかったのである。
後継高である美原高校の沿革に記述がほぼないのは、わかる。

本当に何もないのである。

なので、設立年も不詳。
何度か検索してみたら、「東京都立学校設置条例」というサイトに辛うじて、1981年との記述があった。

それ以外、ネット上には、何の記述もない。

1981年から2003年まで約22年間、大森の地にあった学校と言うことしかわからなかった。

後は類推である。

たぶん、団塊ジュニア(ちょっと幅広い。1960年代後半から1970年代前半生まれ)、第二次ベビーブームの人口増対応のために作られた高校となるか。

そして、この学校も2000年代の「都立高校改革」で大きく変わって行く。
南高等学校と統合となり、廃校である。

しかしながら、創立後22年で統合・閉校となってしまったのには、何か深い事情があったのだろう。
が、その事情は、今現在、ちょっと不明なのである。
ネット上に何も書かれていないということが、その事情の一つとも言えるか。

跡地は、統合後の後継校である都立美原高等学校が入っているのである。

場所を確認する。
京浜急行の平和島駅から東に400mほどの環七の南側。

かつての東京湾の波打ち際で、昭和の半ばまでは日本特殊鋼という会社があった場所。

工場跡の高層住宅が立ち並ぶ一画にこの学校はあったのである。

同じ場所にできた統合後の学校のこの先の発展を祈るばかりなのである。